丸谷才一『輝く日の宮』についての一考察
以下の文章は『新大國語第30号』(2005年3月)に掲載された文章です。丸谷才一『輝く日の宮』に点いての分析批評を試みたものです。
『輝く日の宮』は丸谷才一が二〇〇三年六月一〇日に講談社より書き下ろし出版によって発表した作品である。丸谷は『たった一人の反乱』(一九七二年四月 講談社)以来、ほぼ一〇年おきに長編の作品を発表し続け、十年ごとの長編作品の系列としては『裏声で歌え君が代』(一九八二年八月 新潮社)『女ざかり』(一九九三年一月 文藝春秋)に続く四作目である。
内容は積年の丸谷が考究してきた『源氏物語』、『奥の細道』に関しての国文学的研究の成果を物語仕立てで作品に組み込みつつ、丸谷一流の大人のラブロマンスも交え、渾身の力を込めた傑出した出来栄えとなっている。作品は主人公大学教師杉安佐子の中学時代の創作を振り出しに、身辺に起こる出来事、学会の事情、彼女の研究成果に伴う「輝く日の宮」(『源氏物語』中の失われたとされる一帖の名称)創作と続いていく。少少長い引用だが、池澤夏樹の本作書評「著者の全仕事を一本の小説に盛ったら」(『毎日新聞』二〇〇三年六月一五日)に内容をうまくまとめた部分があるので、借用して内容理解の助けとしたい。
引用
盛られた趣向は何々か。具体的には、主人公が中学生の時に書いた泉鏡花もどきの短い小説に始まって、現代の知的な一家の機知に富んだ会話であり、「芭蕉はなぜ東北に行ったか」を論ずる学会発表とその顛末であり、色事であり(「女は男をベッドに入れるしかなかったし、男は当然のことのやうに女を抱いたが、それは先程の遊戯的なものとはまつたく違ふ破滅へと激しく落ちてゆく感じで、これはこれでまた趣が濃く味が深い」)、いかにも粋な次の恋の行立(ゆくたて)であり、「日本の幽霊」を論じるシンポジウムの舞台で唐突に始まる知力と嫉妬のバトルである。それに一人の男のサラ リーマンとしての栄達の物語がからむ。文体の方もそれぞれに応じて変化(へんげ)する。
この中でとりわけ力がこもっているのが、文学史の謎という話題だ。『奥の細道』の成立事情をはじめ、通説をひっくりかえすような大胆な説が次から次へと提示される。そのまま書けば評論一巻となるはずの論が、小説の体裁をまとって劇的に繰り広げられる。これが無類におもしろい。
その最大のものが『源氏物語』の幻の一帖をめぐる推理である。「輝く日の宮」というおおどかでめでたいその一帖の題はそのまま小説のタイトルともなっている。
『源氏物語』の最初のところにどうも話がつながらない部分がある。主流の物語は一の「桐壺」から五の「若紫」へと(二、三、四を跳び越えて)流れているのだが、その間に実はもう一帖あったのではないか、という説が古代からあった。それが「輝く日の宮」で、主人公安佐子はこの一帖がなぜ失われたかを、紫式部と藤原道長の関係から解いてゆく。そのためには芸術家とパトロンというだけでなく、多くの縁(えにし)によって結ばれた二人の仲を、古代の宮廷という場においてくわしく想像しなければならない。
引用終わり
そして最終章が、失われた「輝く日の宮」はこのようなものであったのではないかと思われる創作で結ばれる。
池澤が「文体の方もそれぞれに応じて変化(へんげ)する」と言うのは、『輝く日の宮』各章の体裁の違いを言っているものと思われる。『輝く日の宮』は「0」章から始まり、「7」章まで八つの章からなる。次に、その各章がどのような体裁となっているのかを記述しておく。
「0」章は主人公杉安佐子中学三年生時の創作で、古めかしい言葉遣いや文体を用いた、作中作品となっている。
「1」章は主人公の父玄太郎七十二歳の誕生日を祝う家族団欒の場面。万能視点によって描かれる最もオーソドックスな体裁の章である。
「2」章は作者と目される話者が草子地風に表れ、現代国語教育批判を行い、その後安佐子の講演の話題に移り、「芭蕉はなぜ東北へ行ったのか」の講演原稿をそのまま掲載するという手法をとる。縦の棒線による見え消しの部分もあり、きわめて独特の手法と言えよう。
「3」章は一九八七年から一九九六年までをエピソードごと年ごとに「a」から「p」までの一六の節に分け、各年の出来事を交えながら、時の経過と共に物語が進行する。
「4」章は演劇の脚本の体裁で、安佐子の出席した「日本の幽霊」と題されるシンポジウムが描かれる。
「5」章はあたかも主人公が交代したかのように、恋人長良豊を中心に描いてある。
「6」章は安佐子の身辺と創作「輝く日の宮」を書くに及ぶ事情と平行して、紫式部の年譜を交えつつ、『源氏物語』成立事情が推理され、藤原道長と紫式部との対話を思い浮かべるにいたる。
そして、最終章「7」は安佐子の創作による、あるべき「輝く日の宮」が作中作として掲載されている。
なぜ丸谷は『輝く日の宮』の各章に右の通りの様様な体裁を用いたのであろうか。この疑問を解く鍵はすでにこの物語自体の中に用意されている。
一つはこの物語は「文学」ではなく、芭蕉のよく使う用語だという「風雅」を目指したのではないかということである。「2」章杉安佐子の講演原稿に「この風雅は、文学が純粋で自立していて何か隔絶した様子なのと違って、ほかのいろいろな価値と結びついているものでした」とある。そしてその結びついたものの第一は遊戯性であり、第二は嗜みであり、第三は呪術性であると述べる。第三の呪術性は別にして、遊戯性、嗜み(作中に「倫理性と美的なものとがいっしょになったような局面です」とある)の面から、この物語を構成しようとした結果が体裁の多様さに表れたという考え方が提示できるであろう。推論を飛躍させて、『輝く日の宮』を、紫式部の霊を慰めるための捧げものとしたいという意識の表れと考えて、呪術性も備えた作品と捉えるのも一興である。
この「『輝く日の宮は』「文学」ではなく、芭蕉のよく使う用語だという「風雅」を目指したのではないか」という考え方は、別の側面からの考察によっても補強できる。すなわち、丸谷作品のテーマの変遷を見てみたとき、一〇年前の作『女ざかり』およびそれ以前のものと、『輝く日の宮』との違いは明らかである。『女ざかり』以前の作品に共通する丸谷のテーマは個人と国家、あるいは社会との関わりであり、軋轢であった。
『たった一人の反乱』以前にも徴兵忌避者を扱った『笹まくら』(一九六六年七月 河出書房)には国家に強制されることから逃れようとする人間像が描かれている。そういう問題意識の形象化の結果として、丸谷の「文学」としての小説の多くは書かれていた。ところが、『輝く日の宮』にはその片鱗が見え隠れしないではないが(強いて探せばいくつか指摘できる)ほとんど影をひそめてしまった。
そして「風雅」とも言うべき遊戯性と嗜みとが前面に表れている。丸谷は『輝く日の宮』において、西洋的文学の流れを受け継ぐ、統一したテーマを持ち、体裁としても単一の手法を用いる小説に訣別することを意識していたのではないだろうか。
もう一つ各章ごとに体裁を変えて書くべき理由と目されることが見いだされる。それは、杉安佐子の書こうとしている『源氏物語』欠落部分「輝く日の宮」を「小説的想像力についていろいろ考えるための仕掛け」としていることから、この本体の物語『輝く日の宮』も「小説的想像力についていろいろ考えるための仕掛け」という意識を持って書かかれたのではないかということが推測されるという点である。
「小説的想像力についていろいろ考えるための仕掛け」として、作中物語があり、講演原稿があった。シンポジウム脚本や、別の男性主人公のパートや、さらには『源氏物語』の欠落部分を埋めるための創作も「小説的想像力についていろいろ考えるための仕掛け」として考えられたという推測である。
また、この推測の信憑性を高める記述が本作中にある。杉安佐子と恋人長良豊との会話の中で、杉安佐子が『源氏物語』を「お伽話からはじまつて、近代小説になつて、おしまいにはモダニズム小説そつくりのオープンエンディング」と評している部分である。オープンエンディングとは「主人公や女主人公の運命が結着つかない、宙ぶらりんな終わり方」だという。「個体発生は系統発生をくりかへす」という長良豊の言葉を受けての発言である。つまり『源氏物語』は物語発生時のお伽話的体裁から始まり、近代小説的になっていき、最後にはモダニズム小説風に終わるという評である。
『源氏物語』欠落部分「輝く日の宮」を創作によって埋めるという最終章に向かうこの丸谷作品『輝く日の宮』も「小説的想像力についていろいろ考えるための仕掛け」という意識のなかで、系統発生的物語の試み、ないしは様様な物語の試みを行ったものではなかったろうか。
そのため、『輝く日の宮』は、池澤のいう「泉鏡花もどき」(前掲)の語り口の物語から始まって、万能視点でのオーソドックスな体裁の語り口、講演原稿、時間の経過と共に進行する書き方、シンポジウム脚本、主人公が交代する章段、年譜を元に推理し紫式部と藤原道長との会話を想像し、その二人に会話させる部分にいたり、そして最終章、創作「輝く日の宮」となる。さらに最終章はオープンエンディングとなっているのである。夢じらせとしての源氏の君と藤壺の宮との逢瀬は描かれているものの、源氏の君が藤壺の宮の所へ赴く場面でこの物語は終わる。それから先は読者の想像力にまかされるのである。
このように見てくるとき、『輝く日の宮』の各章の体裁の多様性は「風雅」を目指したためのものであり、「小説的想像力についていろいろ考えるための仕掛け」を模索したものであり、様様な体裁の試みのなかで、物語作品としての魅力を追求した結果の表れであったと考えたい。この論考に引かれた作中の引用は、論理的にはその証拠とされるべき根拠とするにはやや不足であると言わざるを得ない憾みはあるが、作中の記述が多く作品そのものの性格に関連するはずのことであってみれば、あながち的はずれの暴論とまでは言われないのではないかと考える。
ともあれ、丸谷才一『輝く日の宮』は先に引用した池澤夏樹の書評にもあったとおり、様様な魅力に富んでいる。それを一つ一つ解き明かすには膨大な努力と時間とを要することであろう。この論考が、その一隅を占めるものとなれば幸いである。
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