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四国八十八ヶ所お遍路

お遍路というのは、四国の八十八ヶ所の寺をまわる。

#移住計画 を立てている時に、たまたま香川県に行ったので、うどんを食べに行ったら、その隣が、そのひとつのお寺だった。その半年程前によく食べに行くカレー屋のおばちゃんが弾丸ツアーで行ってきた話をよくしていて、四国をいろいろ回れるから良いよ、と言われていたので、気になっていた。おばちゃんはもうおばあちゃんなので、人生を終えるまでに何かやり遂げたいという思いから行ったのらしいが、自分は、空海は日本人で最も尊敬に値する人物の一人ではあるが、信仰心はないので、お遍路という事について、特に興味がなかった。たまたまうどんを食べた隣が寺で、興味本位で入っていき、お参りをし、台帳を購入し、朱印などを記帳してもらう。これがきっかけで、ついでだからとその日に、近隣の寺を数件お参りをした。一度やりだすと続けたくなるのが人間の性なのか、そこから移住計画の下見などを兼ねて幾度となく四国を訪れる事となった。

ぶっちゃけたところ、自分の中では、スタンプラリーとしか思えず、白装束で信仰心溢れる人々には申し訳ないが、結構気軽に参っている。仰々しい態度の寺の人の割に、結構、特に神秘的な雰囲気もなく寺が多く、荒れ果てたところや、お金をかけている寺もあるが、どこか間が抜けているというか、センスのない庭づくりや、造作で雰囲気をぶち壊している寺は少なくない。数カ所、結構ハードな道程をこなさないとた取り付けない寺もあったり、強制的に道路を通るためにお金を取るところなどもあったり、塩飽を感じ取れるところもあるので、お遍路、1200年の歴史というなんとなく浸れる雰囲気に自分の受け取りでは乏しく感じる。初詣にしろ何にしろ、神社仏閣の企画した客を集めるためのイベント的な発想が起源のはずなのに、空海にしてもそのような事の発案者であるにもかかわらず、その事実を突きつけると罰当たりな!的に思われがちだが、どのような思いで参拝しようと、人それぞれなので、自分は他人の事など何とも思わない。バスのツアーで団体で、個人的に思いを込めて拝んでいる人を尻目に、リズムを崩す音痴で大声でお茶を濁すお経を唱えていても、自分は良い事をしているのだからと他人の事など見えていないしお構いなしの人々についてもだ。ヅカヅカと自分のスタンプをツアーのアテンダントに任せて、べちゃくちゃお喋りに勤しむ人たちも、良い事をしに来ていると思い込んでいる。家族に不幸がありそれをきかっけに始めた人、家族が重い病気で藁にもすがる思いで回っている人、今までの悪事の数々を浄化しようと死ぬまでに回る人、自分探しのために苦役を課す人など様々。自分は本当に、これをきかっけに四国の方々を回るきっかけにしていただけで、特に重い思いもないし、悪事を浄化するほどの悪事や自分に後悔する箇所もないし、自分を探す必要なんてどこにもない。やり出したら、とりあえず最後までやってみたいと思うだけである。
しかしながらわざわざ、多大な交通費をかけて行っていた時は、どんどんこなせて行っていたのだけれど、実際、四国に移住してみると、この3年、ほとんど行く気がしなくなり、全く進んでいない。

高知市周辺、徳島県は内陸部、香川県は大部分済んだ、愛媛県は手付かず、足摺岬や室戸岬など沿海部は、遠過ぎて行く気がしない。愛媛県は西の方でかなり遠い。そう、遠いところばかり残って、後々が大変なのです。
しかし、四国をそろそろ出ようと考えている今、おそらく出てしまえば、ほぼ観光も含め、戻る理由がないので、より足は遠のく。だから、再開し、コンプリートさせようと考えている。
これも含め、やはり、非現実ならはば、楽しく向かえるはずが、いざ、現実になってしまえば、近いのに足が遠のく。住むのも同じで、ちょくちょく旅行感覚で、自然豊かな長閑な風景、海産物を含めた地元の美味など味わう分には、非現実だからよりよく味わい楽しめるが、実際に住んでみると、やはりマイナス部分や影の部分もより濃く体験する事になる。良い部分が少ないからみんな出て行くわけで、だから、良い部分から影の部分を差し引くと、自分の感覚では、マイナスに突入している。誰も知らないから、人間関係の煩わしさがないのが唯一の利点だろうか。
そんな非現実の魅惑の部分を味わうのは、八十八ヶ所にはあまりなく、同じ寺に行くなら、京都の寺に行っているほうが良い。京都の寺は、自然を利用した庭作りなど、綺麗事に長けている。整備の仕方が芸術性に富んでいる。開祖の人物の感性など最早存在しないくらいの欲通しさを感じたりはするが、言い方がおかしいが、あまりにも装飾と値打ちのつけ方が上手い。かたや、お遍路には、神秘的な気を醸し出すための気が希薄過ぎて、かといって、侘び寂びを感じるという段階にまで手を入れていない為、ただ単に朽ちている感覚。これが世界遺産になれば、またまた計画性もないままに、ヘンテコな現代のウソっぱちな質感の無い、手の入れ方をして、おかしな事になるのは間違いない。
ほんと、1200年前の空海の偉業に乗っかっているだけで、イベントだというのに、もてなしのココロがなさ過ぎて横柄に踏ん反り返っているだけで、今の世代のプラスアルファが無い。
そんな事を感じてしまいながら、スタンプラリーのスタンプを数ヶ所分、増やした休日だったのでした。

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