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祖母の話

ご無沙汰しております。
すっかり春、いや日によっては初夏ですね。
(息子は今週から半袖で登校しております)

1月は旦那氏が2回目のコロナ感染、2月は息子のインフルエンザ、3月は母の再入院と町内会の役のアレコレ等、何だか気が気じゃない日々が続いていましたが、やっとひと段落というか、人のために頑張ったり色々考えなきゃいけない時期は過ぎた感じです。
あ、GWの帰省のことがあるか…。いや、あれは旦那氏に任せよう。提案できることはしたから判断は委ねる。うん、そうしよう。

さて、今回は祖母についてです。

母方の祖母は彼此30年程1人で暮らしていたのですが、ここ数年で認知症の症状が出始め、近くに住む叔父家族がサポートしてくれていました。
しかし、一昨年から症状が悪化し徘徊がみられるようになり、警察や救急のお世話になる事態が増え、更に別の病気も見つかった為、昨年の1月から老人ホームに入居しました。

本当は徘徊が始まった時点でなるべく早く入居させたかったのですが、祖母はプライドが高く頑固だったことと、メインでサポートしてくれていた叔父が「出来るだけ好きにさせてあげたい」と言っていた為、大した手助けも出来ていなかった我々がそれ以上口を出すわけにもいかず…。
母は「何かあってからでは遅い。もし事故にあったとしたら加害者になってしまう人が出てくる。それは絶対に避けたい。」と考えていて、祖母に会う度にホームの話をしていたそうなのですが、もちろん頷くわけもなく、結局、デイサービスを利用や叔父が(度々詐欺に遭いそうになっていた為)金銭の管理をすることを条件に1人暮らしを継続することに。

薬を飲む時間やヘルパーさんが迎えに来る時間を前日には母、当日に叔父が電話で知らせていたのですが、伝えた時間に外出(徘徊)してしまったり、そもそも電話に出なかったり、薬を飲まずに捨てていたりと、1人暮らしは難しくなっていた矢先、母に癌が見つかり、今まで行なっていたサポートを全て叔父が担うことになってしまった上、祖母にも定期的に輸血が必要になる病気が見つかった為、最初の徘徊から半年後、医療体制の整ったホームへ入居となりました。

祖母は気持ちが若くファンキーな人で、想像の斜め上をいく言動をする祖母が大好きでした。
携帯が普及し始めた頃は「自分も欲しい」と叔父にねだり、説明書は読まないし人から教わるのも嫌いなので使いこなせないけど「携帯を持っている」ということだけで大変満足していたようで、私や兄に「メールはよく分かんないけど、電話はいつでもかけていいからね!出ないかもしれないけど!」といって豪快に笑っていました。
宣言通り、私からの電話に1発で出たことは一度もありませんでした。

あとメモ魔で、何でも書いちゃう人でした。
例えばコレ。

祖母曰く「このパンダなんだっけなって思って書いといたんだよ。」とのこと。
いや、本体に書くなよ。しかもそんな目立つところに。あとそれ、たれぱんだじゃないよ。

ポスト型の貯金箱の裏はコレ。

1枚目は感想つき。
2枚目は郵便局で貰ったのか定かではないらしく「?」つき。
3枚目に関してはもうよく分からん。多分書きづらくて諦めたんだと思う。

私は爆笑し、母は呆れていました。
私が笑うと祖母は「何がそんな面白いかね〜」と言いながら嬉しそうでした。


こういうの全部、もう見られないんだなぁと。


祖母が入居してしばらく経った昨年末、祖母の家の取り壊しが決まりました。
祖母宅の上物は祖母の物でしたが、土地は借りていたようで、ホームへ入居した後も地代の支払いを続けていました。
祖母のホーム入居については地主さんには伝えていた為、更新のタイミングで「家はどうするのか」とご連絡を頂いたそう。

地主さんとしては地代が支払われているのであれば今のままでも構わないが、ホームの費用も支払っている中、地代の支払いを続けていくのは負担ではないかと心配して下さったそうで、もし取り壊すのであれば、家の中に残っている物も必要な物だけ引き取れば残りはまとめて処分し、取り壊しの費用も含め全て地主さんが負担して下さるという有難いご提案をうけ、取り壊しを決めたそうです。

あのパンダも、貯金箱も、「おばあちゃんが死んだらokowaちゃんにあげるよ」なんて言われていた貴金属も、恐らく全て「不要な物」として処分されるんだろう。
まぁ、貴金属については祖母が友人だと言い張って家にあげていたどこの誰だか分からない人達にほとんど盗まれてたみたいだし、祖母の家に何が残っていたのか今となってはもう分からないんだけど。

ただ、祖母の物を少しでいいから持っておきたかったなぁ…って。
何なら、私が持ってなくてもいいんだ。叔父の奥さんとか、従姉妹が持っててくれるのでもいい。
でももう今更ね。

叔父が何を残して何を捨てたのか分からないけど、叔父からすれば生まれ育った家がなくなるわけだから、それが一番寂しいよね、きっと。

『歳を取るということは手放していくことだ』と聞いたことがあります。
『良い歳の取り方をしたければうまく手放すことだ』と。
子供から大人へ成長していく過程で色々なものを手にしていくけど、ある時期を過ぎたら手放していかなければならないと。

だからあの家も物も、これからのことを考えれば手放して正解なんだろうと思います。

少し寂しいけど、思い出だけ残して物には執着せず、パンダと貯金箱も、写真を見返してクスッと笑うくらいで良いのかもしれません。


手放す側のことを考えるようになったなんて、私もおばさんになったってことだなぁ〜とか考えつつ、とにかく今持っているものを大事にして過ごしていかなきゃなと思いました。

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