The end of the world
今日の日記はこの曲を聴いたことがある人も、ない人も、まずは一緒にこちらをどうぞ。
これは日本のザ・ミッシェルガンエレファントの1998年にリリースされたアルバム「ギア・ブルーズ」に収録された「キラー・ビーチ」の歌詞だ。
当時私は17歳。名曲揃いのこのアルバムの中でも特に気に入ってこの曲を聴いていた。
タイトルもいい。曲の中で描かれた恋人たちは映画の「トルゥー・ロマンス」のカップルのようで、熱烈でイカれててイカしていて大好きだった。
17歳の高2の私はといえば、頭からっぽ心は四六時中好きな人の事でいっぱい。好きすぎてテスト勉強も手につかないし、好きすぎてそれ以外のことは興味がわかない、その人がいない学校なんて行きたくもない。はち切れそうで100%果汁入りのバカ者だった。
悩める狂心を落ち着かせてくれるのは友人との交換日記と音楽だったけれど、17歳の不安やコンプレックス、友人への嫉妬、未熟なホルモンバランスや、この狂おしい恋心にぴったりとハマる曲をあまり知らなかった。
カラオケで友人達が合唱する恋心を歌う流行りの名曲は、歪んだ私には全く浸透せず、それがさらに私を寂しくさせた。
そんなどうしょうもない恋で丸焦げていたハートに一撃ドーンと派手にお見舞いしてくれたのがこの「キラー・ビーチ」だった。
「これだ!」と砕かれたハートが磁石のようにくっついて元通りになり、この曲を聴くとズタボロの気分もきれいにピカピカに蘇るようだった。
自分がどのくらいあなたを「好き」か。
この思いを例えて伝えるならば、それは寂しくて震える子猫なんかじゃない。ましてやほろ苦いチョコレートでもなけりゃ甘酸っぱいストロベリーでもない。全然ちがう。自分が嫌になるくらい私の「好き」はたまらなく気持ちが悪いんだ。
私の「好き」は私の内臓であり臓物、腹ワタ。その身体へと注ぎたいのは、この真っ赤な血潮そのものだ。そうだ心臓!心臓!と、キモさをふっとばして「キラー・ビーチ」のミドルテンポに乗ってみるみる元気がわいた。
この世に誕生したばかりの叫び声のような、或いは獣のようなチバユウスケだけの歌声で
「おいらの心臓くらえよベイビー」なんて呼ばれてごらんなさい17歳もうイチコロ。
はい、こちらベイビーです!と、喜んで両手をあげて全力で浜辺を走っていきたくなる。
この男(ヒト)こそ完璧な理想の恋人像。
私のこの重めのハードコアな恋心を、気前よく楽々と抱きしめて受け入れてくれる。そんな風に思えた。
私の好きな男よ、どうかこのダーリンのように私を受け入れ、強く愛せよと思った。
もっと惹かれたのは、あの歌声で
「 あたしのお肉をたべてよダーリン」とベイビー側のセリフも歌っているのがめちゃくちゃにセクシーに思えた。
どんなロマンチックよりロマンがあって、どんなエロティックとされる物よりエロいと思った。
男性が女性の気持ちを歌うのって、むちゃくちゃいい。なんかセクシーだ!この曲が大好きになった。
それまで自分のバンドでの迷いのひとつだった、私自身が「私」と歌う曲がどうしても借り物のような、巷で流れる恋愛ソングの真似事、ニセモノの様に思え、気持ちが宿らない。
自分で書いた詞なのに他人の歌のような、しかも聴く側に私の気持ちと思われてしまうんだろうな、という気恥ずかしさ。自分キモい。
皆の前で、着心地の悪い似合わない衣装を着て立っているような。
その頃から私は歌詞を「ボク」で書くようになった。これだ。私の描きたい歌の世界はこれなんだ。と感動して、それ以来曲の中で一人称は「僕」になり、お相手は「君」で定着した。
ファズピックスになる前の高校時代の
short cut100というバンドの詞はほとんどボクだ。おそらく全曲。
今は時を経て(やっと?)私が私として歌に向き合い、みつめすぎて、ついには「俺」としても歌を歌っている。ヒトはわからない。
あとはいずれ「わし」と「オラ」で仕上がるのかな。
私生活は女性としての私でもちろん一人称も私。現代は女の子でも一人称を「ボク」と呼ぶ子をみかけるし、それにはとくに違和感はない。なぜ自分をそう呼ぶのか。それがわからなくもない。
私の歌詞のそれと同じとは思わないけれど。身体と心を合わせて自分にぴったり、しっくりくるんだろうな。
敬意をこめてチバユウスケと呼び捨てにしていたけれど、20年以上バンドをしていたら、どんな隅っこバンド活動でも東京という街のチカラと縁のおかげで、チバさんご本人に数回お会いすることができた。すっかりベイビーじゃなくなった私なので両手をあげて駆け寄る勇気はなかったけれど、内心ではチバユウスケーーー!と本物がすぐそこにいて、自分と会話しているという事実がまるで嘘みたいで、夢のような瞬間だった。
写真や噂で知る怖さは微塵もなく、むしろお会いした時は笑った顔しか思い出せない。
気前がよく、いい「あんちゃん」と呼びたくなるような人懐っこさで、そのギャップにさらに本物のスターがいると実感した。
ほんとに存在した。
生きてるうちにちゃんと私もあなたのベイビーの一人ですと思いを言えばよかったな。
チャンスの神様がせっかくロックロールに出逢わせてくれたのに。相変わらずダサいな自分は。ショボい。日常もダサすぎて呆れる。ダサいうちはバンドせんとやっぱり自分を生きていくのは苦痛になりそう。
チバさん。チバユウスケが灯してくれたこの火を絶やしたくない。
ボクも私もワシもどんな自分になっても、歌を曲をバンドで作り続けていこう。
チバさんから受け取った目に見えない力の、何よりの証になる気がする。
その日はレイトショーで「首」を観た。
現代社会がタブーとしていることをぎっしり全部詰め込んだ豪華絢爛のお節の重箱のような映画だった。
生首がゴロゴロ、ばっさばっさと血しぶきと真っ赤な腹ワタが流れ出る、清々しいほど男しか存在しない世界を見終わり映画館を出ると、
寒さで空気は透き通って、見上げた夜空には
大きくて赤みがかった月がのぼっていた。
あまりに大きくて月がかっこいいから見入ってしまった。
その後すぐにチバさんが亡くなったという知らせを聞いた。
あの月はまるでチバさんからの、この世界への最後のメッセージだったような気がして悲しくて悲しくて最後の最後までめちゃくちゃカッコいいぜーーー!!って思った。
人は死ぬ。いつだってその別れは突然やってくる。残酷だ。この衝撃がさびしさにたどり着くまでには、あまりにも遠い。
これからまだ続くであろう人生で何度でもあの歌声と数々の名曲にボクは、私は、俺は心痺れてはうれしくなって、チバユウスケに会いたくなるんだろうな。
悲しみもキモい自分も全部ひっくるめて「美しいな」と思わせてくれるロックンロールをたくさんたくさん聴かせてくれて本当にありがとう「ございました」はなんか似合わない。
他人みたいだ。や、他人やけど、心の近くに居た大スターだもの。
弱くてキモい自分のチキンハートを蹴飛ばして笑えるくらいの力をくれた。
ロマンティックな詩を歌う最高の男、ロックスター。これからだって永遠に輝きっぱなし。
それではお聴きください。
あなたのお好きなチバユウスケの歌を。
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