「フラミンゴのラップ」のこと

まずは歌詞です。

「フラミンゴのラップ」
作詞 朝比奈尚行   作曲 今井次郎

目の奥の ずっと奥の
光の届かない場所で生まれる
美しい形が
原初的な美しい形が 生まれる
君は光ではなく 闇の力で
その形を知ることができる

それは 似ている
船の形に似ている
飛行機の形に似ている
自動車の形に似ている
でも似ているだけだ
似ているだけ
それはまったく別のものだ

リリタリクヤイコトニカト
ハドハドイイタリキ

君は世界に
新しい秩序を与えようとした
今君は「世界はあらゆる意味でデタラメなのだ」という
詩人の言葉を 舌の上で
飴玉のように転がしている
冬の湖に ヨットを浮かべながら
最後の鳥の墜落についての
歌を鼻歌うとき
君の血は君の個体を離れて
一瞬として定まることの無い
遥かな宇宙へと 飛散してゆく

リリタリクヤイコトニ
カトハドハドイイタリキ

君は 森羅万象すべてを肯定しようと
塀の上で 日向ぼっこしている
猫に誓いたてた

※歌詞は以上です。

「フラミンゴのラップ」について

この文章は大久保が、時々自動のメンバーだった期間のことを個人的な記憶や解釈や想像で書いています。現在まで時々自動を主宰し、ほとんどの公演の作・演出を行い、歌詞を書かれている朝比奈尚行さんや音楽の中心メンバーだった今井次郎さんが意図していることを代弁するようなものではありません。
2023年9月9日 大久保英樹

「フラミンゴのラップ」は、1991年の時々自動の公演『イエオタテル』のために作られた曲。
大久保は(劇中では言葉としては言及されないけれど)20世紀を代表する建築家ル・コルビュジエをイメージする「役」として舞台に立っていました。※(単なる偶然ですが、大久保はル・コルビュジエと誕生日が同じ)
この時期の時々自動の作品は(常にその意識はあったはずですが、この頃は特に)20世紀(近代→現代)の科学技術や芸術が戦争やファシズムと深く結びついた「歴史」についてのイメージを、言葉主体でなく音楽とパフォーマンスで表現していました。

ライト兄弟の夢を実現した「飛行機」という発明が、あっという間に戦争兵器となった…

圧倒的な才能で、モダンでコンテンポラリーなコンセプトを発明し、美しい建築を残したル・コルビュジエたち「建築家」は、一方で常に建築の「権力的側面」と向かい合わざるを得なかった…

ヨーロッパ近現代の理知的で合理的な
「知性」が作ったものの美しさと残酷さ…

そのことは(今井次郎さんを中心として作られパフォーマーたちが自身で演奏する音楽や、全員が手作りの「動物たちの着ぐるみ」に変化するシーンや、自ら発明したシステムに縛られた動きで踊るダンスや、劇場照明を使わずパフォーマーたちが手に持って動かす「光を放つオブジェ」だけで空間を作ることなどなど…で構成された)この時期の時々自動の公演の『イエオタテル』『飛行機でゆくから』というタイトルからも想像してもらえるかと思います。
大久保の勝手な思いとしては(今もその影響が続いている)「20世紀」という戦争に彩られた特殊な世紀への「挽歌」のような作品たちだと感じました。

建築家の夢が敗れ去り、廃墟となったラストシーンで(巨大なフラミンゴの着ぐるみを着た大久保によって)歌われた「フラミンゴのラップ」は、その後ベルリンのフェスティバルに招待された際の「新作」のラスト(ここでも世界は崩壊するイメージ)でも歌われました。

今井さんはこの曲を作曲する際、朝比奈さんの歌詞を受けて、作曲など素人である私たち時々自動メンバーに「リリタリクヤイコトニカトハドハドイイタリキ」という(無意味な)言葉にそれぞれがメロディを作って欲しいとリクエストしました。
「フラミンゴのラップ」のメロディの多くの部分はそのメンバーが「作曲した」短いフレーズが占めています。演劇全体のコンセプトも合わせて(たぶん)今井さんは、今井次郎という個人が作ったものではなく、様々な「特別な才能はない」普通の人たちが作ったささやかなものと共存するような曲にしたかったのでしょう。
私たちの作ったフレーズをうれしそうに笑いながら聞いていたことを思い出します。

そんなこんな30年以上も前のことを思いながら、今の(急激に戦争が近づいて来ている「世界」や「この国」の)ことを感じながら(当時も今も決して歌も演奏も得意なわけではない大久保が)キラリ☆ふじみで歌ってみます。

ラストの歌詞
「君は 森羅万象すべてを肯定しようと…」という決意が伝わるように。



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