なぜ帰郷しひとりでサロンを?
こんにちは、おこなです
はじめに、なぜそうなったのか?の経緯を
セキララにお話ししたいと思います
温かい目で見ていただけたら嬉しいです
私は鎌倉で美容師としてせっせと毎日働いていました🕺20歳のときからずっと鎌倉で働かせてもらっていて、気付いたらかなり月日が経っていましたね
とてもやりがいもあったし、先輩や同期、後輩たちのお陰で少しずつ美容師として、そして自分自身も成長もしていたと思います
そんなある日父からの急な電話…
「ママがあと2,3日で死んじゃうかもしれない。」
父は泣いていました
は!?意味が分からない。
急に何で!?とにかく近くにいきたい、
居たい。と思い急遽帰らせてもらいました。
本当にありがとうございます。
帰る新幹線の席で1人そわそわして泣きじゃくっていました。全然止まらない涙。
年末はあんなに元気にご飯食べさせてくれたじゃん!
一緒にスーパー行ったじゃん!
色んな事がバァーっとでてくる
母は集中治療室に居るらしく、しかもコロナ。ってことはもうさいごは会えないかもしれないという残酷な現実。
姉が、
手紙を書いて看護師さんに渡そうよ!精いっぱいいままでのありがとうを書こう!
って
震えて冷えた手でとにかくありがとうと大好きを。
私はとにかく母の側に居たかったので急遽サロンを退職させていただきました。
それからはなんとか輸血で繋いでくれたらしく2、3日ではなかったですが、2カ月くらいで母はお星様になりました
いまでもほんとうに信じられない気持ちです
母はひとりで理容室を営んでいました。
私が物心ついた頃にお店を建てていてよく姉とお店の二階で遊んだのを覚えています。
よく考えたら私が美容師になったきっかけは母だったように思います
母がお客様と接しながら髪の毛を切っていたのがカッコイイ、、と子供ながらに思っていて、学校に行くときは毎日母に髪の毛アレンジしてもらったり。
何かあるとヘアスタイルの事は口うるさく言われて。
間違いなく私の専属スタイリストでした。
理容室を一人できりもりしてちょうど20年目だったそうです。
そしてその跡地で私が美容をやっていこう!と
母がとっても大事に大事にしていたサロンだったので私がその意志を継ぎたい!
と思い
決意しました
この決断はただモノではなくて、、
どうしたらいいかとてもとても悩みました
私なんかができるのか、、、。
でも人生はいちどきり
明日なにがあるかわからない!
だから自分の好きな生き方をしたっていいじゃないか!
まちがってもできなくてもとりあえずやってみる!
私の挑戦です
私はずっと関東で美容師をして関東で暮らすと思っていたし決してひとりでサロンをやりたかった訳じゃないし、まさか自分がお店を営むなんて思ってもいなかったです。
でも、やる!!と決めたからには負けません!絶対がんばってやる!
でも、正直めちゃくちゃ不安です期待3不安97くらい
みんなのちからをわたしに分けてください!お願いします!
私は負けない!頑張るぞ!!
文がまとまらないっ
ちなみにオープンの日が
2021.3.6 に決定しました!
予約も徐々に取らせていただきます
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