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どうする家康 第35回「欲望の怪物」

 第35回において最も印象的な場面は、矢張り何と言っても、初登場した石田三成が星を見ている場面であろう。両手を眉の上に翳し、一心不乱に星を観察する三成からは、常人とは違った何かが感じられる。日本でも古来、星を観察する人々は存在したが、彼らの多くはそこに(牽牛織姫の様な)お馴染みの神話伝説を見たり、そこから吉凶を占ったりしていたのに対して、三成は「星を見て、何とします?」という問いに「南蛮では、星々に、神々の物語を見出すと、聞き及びまして」と答えていた事からも分かる通り、そこにヨーロッパの星座を見出し、そこからこれ迄の日本列島では知られていなかった様な「物語」を読み解こうとしている。だが夜空に未知の「物語」を探ろうとするこうした態度は、風流人の気紛れから来ているのではなく、「この世は、まーるい玉の様な形をしているとも言います」という(16世紀末の日本では)最新の世界観に基づいており、しかも彼はそれを自分の周りの世界に敷衍して、「古い考えに凝り固まっていては、物の真の姿は掴めませぬ。政もまた、新たなる遣り方、新たなる考え方が、必要と存じます」と考えるに至るのだ。三成の言う「新たなる遣り方、新たなる考え方」は、第33回で石川数正が予見していた「三河であろうと、遠江であろうと、我らの国であって我らの国でない…そういう世」(即ち、絶対君主が統治する統一国家の時代)に対応するものであり、三成は正に「近代人」と呼ぶに相応しい新しい人である。

 しかし三成の言動からは、「近代人」に特有の矛盾もまた窺う事が出来る。『デジタル大辞泉』にある「近代人」の項目を見ると、「個人主義的で、合理的、科学的な生き方を身につけている人」とある。この簡略な説明自体、様々な問題を孕んでいるのだが、ここではそれは一先ず措いて、第35回で提示された三成像を見るなら、差し当たりこの説明には合致している様に見える。実際、周りの人々が話し掛けても、超然として星の観察を続け、他方で、家康が彼の話に興味を示すと、目を輝かせ、夢中になって自分の考えを捲し立てる所などは、自然科学者に特有の振る舞いであり、三成の「近代性」を証し立てているかの様だ。しかし考えてみると、三成はこの時、「星と星を、様々に繋いで」「色々な物を形作」っていたのであって、自然界の普遍的法則を探求していた訳ではない。「星座」とは飽くまで「恒星をギリシア神話中の人物や動物・器具などに見立てて適当に結び付け、天球を区分したもの」(『デジタル大辞泉』「星座」の項目より)であり、その相対性(例えば、ペルセウス座がペルセウスを形作っているのは、歴史的条件から来た約束事に過ぎず、そこには何の必然性も無い)を考慮するなら、「星と星を、様々に繋いで」「色々な物を形作る」という行為は自然科学というよりは、寧ろもう一つの自然たる文化の創造を想起させる。そしてそれをしている三成本人は「古い考えに凝り固まっていては、物の真の姿は掴めませぬ。政もまた、新たなる遣り方、新たなる考え方が、必要と存じます」と述べている所から見て、その念頭にあるのは政治なのである。つまり三成は自然科学者の様な態度で空を仰ぎ、技術者の様な態度で星座を探りつつ、人間社会について思いを巡らせている訳だ。もう一つ気になる点は、星を観察する三成が両手を眉の上に翳している事で、これは望遠鏡の様に視野を限定する事で、目当ての星を見付け易くしているのであろうが、この身振りは同時に彼の視野の狭隘さを暗示している様にも見える。尤もこの人間としての不調和、視野の狭さは石田三成一人に止まらず、多くの「近代人」が抱え持つ矛盾でもある。

 この何処かちぐはぐな所もあるとはいえ、聡明で進取の気性に富んだ青年は、豊臣秀吉という専制君主に仕えている。この回には、三成と秀吉がそれぞれ別の場所で世界地図を眺める場面が出て来るが、それは両者の人間性と立場の違いを良く表している。三成は(この時点では、まだ何処の誰とも知れない)家康が自分の話に付いて来てくれる事に気付くと、世界地図を取り出して、「この世は、まーるい玉の様な形をしているとも言います」と語り掛けるのだが、ここから窺えるのは、彼が日本列島の外に広がる未知の世界に子供の様な好奇心に満ちた眼差しを向けている、という事だ。これに対して、自分の前から辞去していく家康を見送りながら、「戦無き世か…ふっ…家康…戦が無くなったら、武士共をどうやって食わしていく。民もじゃ、民をまっともっと豊かにして遣らにゃーいかん。日の本を一統したとて、この世から戦が無くなる事は…ねえ」と独り言ち、何かに取り憑かれた様な目で世界地図を見ながら「切り取る国は日の本の外にまだまだ、有るがや」と口にする秀吉からは、日本列島に住む全ての人の欲望を呼び起こし、それによって全世界を併呑してやろう、という怪物めいた衝動が感じられる。両者が世界地図を前にした時の態度を比較すると、前者においては世界についてより多くの事を知りたいという好奇心が、後者においてはより多くの世界を自分の領土にしたいという野心が窺われるが、何方においてもそこで我々はどう生きるべきか、という観点が欠落している様に見える。それでは秀吉の様な主君が三成の様な家臣と結合する時、そこに姿を現すのはどの様な体制なのであろう?この問いに対する手掛かりとなるのが、寧々による秀吉評である。寧々に拠れば、秀吉はよく「信用出来ると思えたのは、二人だけ…信長様と、徳川殿。お二人とも裏表がないと」言っていたそうだが、この言葉は裏を返せば、信長と家康という自分の「思い通りに出来ない」存在にして初めて秀吉は「信用出来ると思えた」という事だ。しかしながら専制君主が必要としているのは、人間として「信用出来る」存在(即ち、友)ではなく、飽くまで自分の手足と成る事の出来る存在である―現に秀吉は、晩年の信長に対して秘かに叛意を抱き、「そろそろ居らんくなってくれんかしゃん」と呟いていた位であり、家康の事も執拗に屈服させようとしていたではないか?こうした専制君主が自分の側近達に求めていたのは、己の意志に黙々と従い、己が抱える途方もない欲望を実現可能な政策や制度へと具体化させてくれる技術官僚としての役割であった。尤も、技術官僚として秀吉から求められる課題を実現していく事と、三成自身の中に「近代性」と呼び得るものが備わっている事とは、必ずしも矛盾しない。なぜなら「星と星を、様々に繋いで」、そこに「神々の物語を見出」そうとする行為から窺われるものは飽くまで「近代的」技術であり、それは如何なる目論見とも結び付き得るからだ。こうした「近代的」技術は、第22回「設楽原の戦い」において、信長が三千挺の火縄銃を以て武田兵を殲滅したあの「近代性」にも相通じるものがあり、自然科学と技術が結合する近代に特有の暴力性を秘めている。今思うと、第13回で家康に初めて地球儀を見せたのが信長であったというのも極めて示唆的であり、このドラマにおいて「近代」というものは常に両義的(つまり創造的且つ破壊的)なものとして提示されてきたのだ。まだ近世という時点では、倫理的知恵によってこうした近代的暴力(それは自然科学と技術の結合という形を取る事もあるし、専制君主と技術官僚の結合として現れる事もある)に歯止めを掛ける事も可能ではあったのだが、豊臣政権においてそうした役割を担ってきたのが寧々と秀長であった。しかし1591年に秀長が世を去った後は、秀吉に対して(大政所の言葉を借りれば)「力尽くで首根っこを抑え」付ける事の出来る者は居なくなってしまう。と言うのも、仮に三成が「個人主義的で、合理的、科学的な生き方を身につけている人」であったとしても、彼の様な技術官僚には往々にして政治的展望が欠けているからである。20世紀以降、専門技術者による政治支配は「技術者支配」(technocracy)と呼ばれるようになるが、こうした現象の起源は、この時期、絶対君主の周りに集った技術官僚達にあったのかもしれない。

 とは言うものの、満天の星の下、家康と三成が意気投合し、夢中になって話し込む場面は余りに美しいものであったので、もしも三成が家康の家臣であったなら、彼は初期江戸幕府においてどれだけの働きをした事だろう、とつい想像してみたくなる…実際には、家康の下で技術官僚として活躍するのは伊奈忠次や大久保長安といった人達であり、家康と三成はこの十四年後、天下の覇権を懸けて争う事となるのだが。ところで家康は三成に向かって「あれと、あれとあれを繋ぐと、こう、弓の様では御座らんか?」と呼び掛け、三成もこれに「成程、や、やあ、私は、あの辺りに、馬が見えまする」と応じていたが、これはその直前に三成が没頭していた行為とは全く別のものだ。両手を眉の上に翳していた三成は「南蛮では、星々に、神々の物語を見出すと、聞き及び」、それをなぞっていただけだったが、ここでの二人は全く新しい星座を即興的に作り出しているからである。これこそ「自然科学」にも「技術」にも還元されない「政」に特有の創意工夫を暗示しており、三成の才はこうした主君の下でこそ十全に開花した筈だったのだ。この回では駿府城へ移り住む事となった家康が、浜松城下の「皆に」「礼を言いに行」き、そこで「焼き味噌」や「団子」や「銭」について様々な噂を流していた民から謝罪を受けるも、怒る事無く「良い良い。あの時儂は、本当に怖くてな、少し漏らしたんじゃ。団子を取ったのも、きっと儂であろう。儂が、情けない姿を晒したのは、紛れも無い事。存分に語り継いで、儂を笑うが好い」と語る場面があったが、これもまた「政」に特有の倫理的態度である。家康が作り出した幕藩体制には、自然科学や技術の進歩発展に敢えて枷を嵌めている様な所があって、これは明治以降、「近代的」観点から、人間の自由を妨げる「抑圧」として批判されてきたが、無限の進歩発展に生存を脅かされている様にも見える今日の我々から見るなら、こうした制度化された倫理的配慮には改めて見直すべきものが無いだろうか?

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