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どうする家康 第38回「唐入り」

 第38回「唐入り」で描かれているのは、豊臣秀吉が耄碌し、醜く老いさらばえていく過程である。言う迄も無い事だが、この「醜く」という語が意味しているのは、盛りを過ぎた花が色褪せて萎んでいく様に身体が衰えていくという現象ではなく(それは誰しも逃れられない事であるし、東アジアにはそこに「美」を見出す、という文化もあったのだから)、人間として堕落していくという事態である。秀吉の耄碌は無謀な朝鮮出兵も然る事ながら、彼が怒りっぽくなったという事からも窺う事が出来よう。浅野長政が「唐入り」を「どうかしておる!」と叱責した時には、秀吉は長政を斬り殺そうとしていたし、家康が「若君様の事、心よりお悔やみ申し上げます。茶々様のお心を思えば、その悲しみ如何許りか。されど、それと政は別の事」と言う事で、「茶々を慰める為にこの戦を、している」のではないか、と朝鮮出兵を暗に批判した時には、癇癪を起こして目の前の高坏を撥ね飛ばしていたし、三成が秀吉の渡海を止めようと必死で追い縋った時には、彼の事を蹴り飛ばしていた。剰え「茶々様は遠ざけられるべきと存じまする」と進言する家康の胸倉を掴み、「茶々を愚弄するのか?図に乗るなよ、儂は太閤じゃ。その気になれば、徳川くらい潰せるぞ」と脅し付ける秀吉の姿からは、嘗て石川数正が「あれは、化け物じゃ」と感嘆した凄みは微塵も感じられない。この耄碌した専制君主の厄介な所は、常に愚かしい妄執に取り憑かれているという訳でもなく、時に往年の明晰さの名残を感じさせる瞬間もあるという事で、それはまるで彼の中に二人の人間が住んでいて、それらが交互に顔を出す、という印象を与えている。この事が露わとなるのが、自邸に秀吉を招いた家康が、茶々の危うさについて諫言する場面である。最初、秀吉は快活な笑みを浮かべて「分かっとる!儂ゃみーんな、全て、分かっとる。のー?あれで、政を危うくはせん」と答えるのだが、次の瞬間、ふっと笑みを消して、「茶々は離さんぞ」と何かに取り憑かれたかの様な顔で呟くのだ。

 浅野長政や阿茶は秀吉のこうした振る舞いを「狐に取り憑かれている」と評していた。そして阿茶と家康はこの「狐」とは茶々の事である、と考えている。これに対して、今際の際の大政所が残した「…腹いっぺえ、食いてえ、あれは、いっつもそう言うとった。やけど、儂、あれになーんも与えてやれんかったでよお。あれはもう、自分でも分からん様に成っとるんだわ、自分が、本当は何が欲しかったんだか」という言葉を聞くと、秀吉の中には癒される事のない根源的な「飢え」があり、この「飢え」こそが秀吉を突き動かして、信長の下でとんとん拍子の出世を遂げさせ、信長死後は織田政権を乗っ取り、遂には日本全土を統一するという大事業を為さしめたのではないか―そんな気がしてくる。この底無しの穴の如き「飢え」は今尚健在であり、天下一統を成し遂げた秀吉を更なる征服へと駆り立てるのだが、秀吉自身は老いによって衰弱し、今やそれを御する力を失っている。「茶々様は遠ざけられるべきと存じまする」と諫める家康に秀吉が見せた二つの顔は、嘗て「みっともない訛りをわざと使い、無様な猿を演じ、人の懐に飛び込んで人心を操る」時に秀吉が被っていた道化の仮面と、その下から覗く弱々しい老人の顔ではなかったか?この後者こそが素の秀吉であり、それは仮面と「飢え」の間にあってすっかり痩せ衰え、今や仮面を上手く扱う事も、「飢え」を抑え込む事も出来ず、只々「飢え」に引き摺り回されている。つまり「狐」とは茶々ではなく、今や秀吉の手に負えなくなったこの「飢え」の事だったのだ。因みに、この回冒頭には、秀吉や諸大名が瓜売りや簣売り、魚売り、高野聖等に扮して踊り回る「瓜畑遊び」の場面が有るが、「狐」という字の中に「瓜」という字が入っている事に鑑みて、秀吉程ではないにしても、朝鮮出兵に夢中になった大名達もまた「飢え」という「狐」に取り憑かれていたのかもしれない。しかし耄碌した秀吉を悩ませていたのは、この凶暴な「飢え」だけではない。家康が秀吉に茶々の事を諫言し、我を忘れた秀吉が家康に掴み掛かるも敢え無く引き倒され、どうなる事かと思われた所に昌山(嘗ての足利義昭)が闖入して、「天辺は独りぼっちじゃ、信用する者を、間違えてはならんの」と思わぬ忠告をした後、再び彼らが二人きりになった時、秀吉は往年の口調で「…おめえさんは、ええのー。ずーっと羨ましかったわ。生まれた時から、おめーさんを慕う家臣が、周りに大勢おって…儂には…だーれもおらんかった…儂を見捨てるなよ」とこれまで隠してきた心中の或る一面を見せる。この場面が第27回「安土城の決闘」で家康と信長が対峙する場面に似ているのは偶然ではない―なぜなら何れも絶頂期の専制君主が家康の前に立ちはだかり、その力を誇示するも、同時に自分が作り出した体制の行き詰まりを強く意識して、最後には自分の中の最も弱い部分を垣間見せる、という場面だからである。第27回の信長に比べて第38回の秀吉が(脅し付ける秀吉に向かって家康が「嘗ての底知れぬ怖さがあった秀吉ならば、そんな事は口にすまい」と言っていた様に)如何にも弱々しく見えるのは、両者の年齢の違い(前者は数え年49歳、後者は1592年の時点で数え年56歳)も然る事ながら、秀吉の場合、あらゆる欲望を全て満たした後、これ以上何をすれば良いのか分からなくなってしまった、という悲哀も有るのであろう。この回では浅野長政、大政所、寧々、家康といった人々がこの「飢え」と孤独に苛まれる専制君主に意見する事で、何とか彼を公の責任ある立場へ連れ戻そうとしていた訳だが、茶々の懐妊によってその努力は水泡に帰す。第二子の懐妊によって秀吉の中の「飢え」は再び息を吹き返し、豊臣政権はまたもや無謀な膨張政策へと突き進む事になるのだ。

 この自らの「飢え」に引き回される哀れな老人の傍らに居て、何時の間にか大きな存在感を持つようになったのが茶々である。秀吉自身は「この儂が、小娘相手に思慮を失うと思うか?」と言っていたし、このドラマにおける茶々は秀吉に何かを唆したり、何らかの政治的働き掛けを行ったりした訳でもない。それゆえ既に述べた様に、秀吉が「狐に取り憑かれている」とは茶々が秀吉を操っているという意味ではなく、秀吉自身が自分の「飢え」を制御出来なくなった、という事態を指しているのだ。とは言え、秀吉の痴態と茶々との間に何の関係も無い、という訳でもない。実際、家康が秀吉に「恐れながら…茶々様は遠ざけられるべきと存じまする。あの御方は、何処か計り知れぬ所が御座います。人の心に、何時の間にか入り込む様な…」と注意した通り、茶々の言動には不可解な所があった。秀吉が不在の折、(秀吉の言い付けに反して前田利家ではなく)家康の下を訪れた茶々は、彼と向かい合うや否や「ずっと、家康殿とお話がしたかったのです、我が母の事。母から良う聞かされておりました。貴方様は、母がお慕い申し上げた御方だったと」と長年彼の良心の咎めと成っていた問題へと踏み込んでいき、「北ノ庄城が、落城する中、母は最後まで、家康殿の助けを待っておりました…なぜ、来て下さらなかったのですか?」と問い質す。この問題は北ノ庄城に居た頃、「徳川殿は嘘つきという事で御座います…茶々はあの方を恨みます」と言っていた彼女にとって極めて重要な意味を持っていた筈だが、家康が両手を突いて「済まなかったと思っております」と謝罪するや、彼女は「…時折、無性に辛くなります。父と母を死なせた御方の、妻である事が…」と自分と秀吉の関係へと話題を転じ、家康の「…殿下を恨んで御出でで?」という問いには「分かりませぬ。手を差し伸べて頂いて、感謝もしております」と曖昧に答えつつも、矢庭に「ずっと思っておりました。貴方様は、私の、父であったかもしれぬ御方なのだと」と言い出したかと思うと、家康に近付いて「父上だと思って、お慕いしても、良う御座いますか?」と呼び掛け、しかも彼の右手を両手で掴み、自分に引き寄せながら「茶々は、貴方様に、守って頂きとう御座います」と潤んだ目で家康を見詰めるのだ。この遣り取りを要約するなら、彼女は当初、亡き母と家康との関係について語っていた筈だが、それが自分と秀吉の話に変わり、更に家康を「父であったかもしれぬ御方」に見立てた上で、まるで誘惑するかのように「茶々は、貴方様に、守って頂きとう御座います」と迫ってみせた事になる―こうした一連の振る舞いにはどんな意味があるのだろう?恐らく「人の心に、何時の間にか入り込む様な…」と言った家康は、彼女の或る側面に気付いていたのだ。茶々の一見非論理的で突拍子もない話し方には、家康の心に入り込み、それを自分の下へ惹き付けようという意図があったのだと思う。そしてこの遣り方は嘗ての秀吉に良く似ている。つまり茶々と秀吉には互いに良く似た所があるのだ。勿論、嘗て「人たらし」と呼ばれた秀吉は茶々のこうした所も良く見抜いており、「分かっとる!儂ゃみーんな、全て、分かっとる。のー?あれで、政を危うくはせん」と言うのだが、この直後に「茶々は離さんぞ」と呟く所を見ても、彼が茶々に執着している事は事実である。他方で、既に見た様に、茶々は秀吉に直接政治的影響力を行使している、と迄は言えない所から、彼女が秀吉を操っている、と言う訳にもいかない。思うに、心身の衰えによって己の「飢え」を乗り熟せなくなった秀吉は、己の傍らに自分と良く似た素質を持つ茶々を置く事で、己の衰えを埋め合わそうとしているのだ。そして茶々の中にも秀吉に良く似た「飢え」が巣食っており、それが彼女を駆り立てて、家康を己に屈服させようと振る舞わせたのである。恐らく茶々の中にあるのは「愛されたい」という「飢え」だが、彼女自身は誰の事も愛していないが故に、この「飢え」は秀吉の「飢え」と同様、何時まで経っても満たされる事は無い。家康の諫言を受けた秀吉が茶々に「そなたは、京へ帰れ」と言った時、茶々は身も世も無く泣き崩れ、それを見た秀吉は思わず彼女を抱き竦めるが、この時の二人の姿くらい哀しいものも無いだろう。化け物じみた「飢え」に取り憑かれた彼らは、互いに愛し合っていないのにも拘らず、寂しさに堪え兼ねて身を寄せ合っているのだ。これは一種の依存関係であるが、この二人がどんなに固く抱きしめ合っても、その「飢え」は癒される事が無いのだ。

 信長の姪であり、尚且つ秀吉の死後、その忘れ形見秀頼の後見人となる茶々を、信長、秀吉の後継者と見做す事も可能だろう。しかし彼女は母お市の方とはかなり違った行動を取る事になると思う。と言うのは、お市の方は飽くまで織田家を守る為に柴田勝家や織田信孝と手を組んで秀吉に対抗しようとしていたのに対し、茶々には、少なくともこれ迄の振る舞いを見る限り、豊臣家を守ろうという意図が殆ど感じられないからである。道化の仮面は半ば剥がれ落ち、「飢え」に翻弄されるようになってしまった秀吉もそうだが、茶々に政治的展望はなく、ただ私的欲求だけで動いている様に見える。なおこの事は彼女が女性である事とは関わりが無い―なぜならこのドラマに登場する女性達の多く(例えば、この回の登場人物で言うなら、阿茶と寧々)は寧ろ公的勤務に従事しているからである。それゆえ秀吉の死後、豊臣政権の公的側面を引き継いだ家康とその私的側面を引き継いだ茶々との間で争いが起こる事は避け難い事であろう。そして政権の私物化を図る茶々には悲劇的運命が待ち受けている事だろう。

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