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それにはチョコレートは甘すぎる

バレンタイン時期に出現するチョコレート売り場がとても好きだ。
かわいいパッケージの趣向をこらしたチョコレートや目的に合わせた様々なバリエーションがずらりと、フロアを埋めている様子は圧巻だし。
そこにいる、恐らくそれぞれ目的があって来ているお客さんたちの上気した雰囲気が充満しているような気がしてなんだかそわそわするのもよい。
なので多分バレンタインが好きといっても良いと思う。

チョコレートに載せて自分の好意を伝えたことは小学生以来無いけれども(ちなみにこれは空振りした)、その時々で、仲の良い男子たちに配ってみたり(高校時代)、付き合っているひとにちょっと奮発してみたり(大学時代)、友達と贈り合って、結局みんなでお茶したり(大学時代)、職場で配ってみたり(大人になりたて)、手作りのチョコレートケーキをあげたり(もうちょっと大人になってから)、自分のためにサロンデュショコラでジャン=ポール・エヴァンのチョコレートを買ってみたり(だいぶ大人になってから)、自分のためにピエールマルコリーニのチョコレートを買ってみたり(以下略)。

このように思い返してみると、割とバレンタインを満喫している気がする。というかおもいっきり楽しんでいる。
おかしい。クリスマスやらハロウィンやら、イベントに踊らされるような行為にはもっと冷笑的だったはずなのに。

好きなひとに甘いものを贈る、という行為がなんだかとてもロマンチックな気がするからかな。その説で行くと近年は自分が好きなのか・・・


こんな感じでバレンタインを楽しんできたわけだけど、一度だけわりと不本意ながらチョコレートをあげたことがある。

いわゆる「義理チョコ」というやつで、あるとき職場で後輩の女子に「バレンタインやらないんですか?」と聞かれたのだった。
そこは2つめの会社で、最初の会社では圧倒的に女性が多い職場でそんな習慣はなかったし、バレンタインでの虚礼廃止の雰囲気が出てきた時代だったから、一瞬何を言われているのかわからずぽかんとしてしまった。
要は、女性社員達共同で男性社員達にチョコレートを買って贈りませんかという話だった。

嫌だよ、馬鹿らしい。このくそ忙しいのに。

という言葉を飲み込んで、
「え、やったことないよ。今まで。お返しとか気にされるのもなんだし(だからやめよう)(あげたいなら個人的にあげたらどうかしら)」と精一杯抗弁してみたものの
「やりましょうよ!喜びますよ!」
「私チョコレート買ってきたり配ったりするのやりますから!」
と純粋な好意で力一杯言われてあっさり折れた。
そこまで言われても拒否するほどの明確な主義だったわけでもなし、全部やってくれるならお金だけ出して参加するだけしたら良いだろう。
後輩からしたら、自分だけでやって、やっていない先輩と比べられたりするのも嫌だし嫌だろうし、と気を遣ってくれたんだと思う。
というわけでお金だけ渡して本当にあとは知らん顔を決め込んでいた。

当日、きちんと個別包装されたチョコレートを用意してくれて、ちゃんと男性社員全員に「女性社員全員からです」と言いながら配ってくれた。

存外、みんな喜んでいたような気もするけどあまり覚えていない。

そしてやっぱり、ホワイトデーにはそれぞれに何かお返しが渡された。私も含め。後輩社員など、菓子折をひとりにひとつずつ買ってきてしまい、恐縮してしまった。ありがたかったが、嬉しいかと言われると微妙だった。

虚礼だ。

そう思った。本当に何の意味があるのかよくわからない。
言葉どおりなんだか虚しい感じが残った。


結局、その会社も辞めて、今の会社では再びそんな習慣は無くなった。

女性社員全員から男性社員全員へ、というのが虚しい感じなんだろうなと思う。友達でも恋人でも家族でも、会社のひとにだって、好きなひとに特別に渡すというのがよいのであって、公平に機械的に好意を表すというのは何も表明しないのと変わらないのに、チョコレートとホワイトデーのお返しという消費の応酬だけは存在するのが虚しい。

美味しいチョコレートは虚しく消費するにはロマンチックが過ぎるのではないかしら。


さて今年、私がいちばん好意を表したくまた贈り物をしたい相手といえばうちのくろねこなのだけど、多分チョコレートは食べられないと思うので上等のお刺身でも買ってくることにする。


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