月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也

松尾芭蕉の「奥の細道」の序文の書き出しである。
最近、以下の記事を読んで、自分も芭蕉と同じ気分であるということを思い出したのだ。

自分自身はマイカーを手放して10年以上。
車のない生活に何の不自由も感じてはいないのだが、上の記事中のような車で低コストの車中泊旅行をしてみたいという憧れはずっとある。
学生時代に二輪の免許を取ったのも、レーサーレプリカに乗りたかったわけではなく、低コストで自由な旅をするための足が欲しかったからだった。

が、それ以上に自分の心を惹きつけたのは、上の記事の筆者の方が、東日本大震災の前は漁船型クルーザーを所有していて毎週末のように海に出ていた、という話。そう、自分は車中泊旅行よりも前に、もっと若い頃の話ではあるが船乗りになって船上生活を送ることに憧れていたのだった。
いわゆるアーサー・ランサムの書いた「ランサム・サーガ」に惹かれたのも、元々そういうところがあったからだった。

半面ではそういう生活は夢として持ちつつ、普通に理工系の大学を出て普通に技術職としてメーカーに就職して普通のサラリーマンになるという堅実な道を選んだ。
(健康を害して、普通のサラリーマンのレールからは脱線して今に至るわけだが)

そして、還暦まであと1年ちょっとという年齢になり、芭蕉が憧れた「日々旅にして 、旅を栖とす」という生活を、1年間の何割かくらいであれば実現できるのではなかろうか、今だったら、という思いが頭をもたげている。
今だったら、というのは、自分の健康状態や経済状態もあるが、「旅」の範囲を日本国内に限定すれば、現代日本の道路インフラとITインフラと小売流通インフラ(どこに行ってもコンビニはある、みたいな)を利用すれば、自分のようなごく普通の人間でも「日々旅にして 、旅を栖とす」という生活を実現できるのではないか、ということ。

もちろん、今の今々はリモートではできない仕事を2ヶ所で就労して合わせて週に5日ほどやっており、職種を変えてしまわない限りはそういう生活は難しい。
「日々旅にして 、旅を栖とす」という生活のためには、リモートでできてそれなりに稼げる仕事を確保するのが先決ではある。
だが、そこさえ上手く解決できれば、「季節ごとに2週間ほどの海外旅行に行ってます」というような生活よりも実現可能性が高いのではないか、というようなことも考えたりする。
過去の経験やスキルや持っている資格を上手く組み合わせれば、リモート主体の仕事でそれなりの収入を得るのは「夢のまた夢」よりはまだ実現性があると思うし。
昔の夢であった「日々旅にして 、旅を栖とす」という生活を実現するため、と考えれば、そういう働き方・稼ぎ方を目指すモチベーションが俄然湧いてきた、というのが今の状態である。

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