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Dear ”不幸”への選択をする自分へ

最近、心が思い。”自分で重くしている”という方が正しいだろうか。

その理由は明快だ。その理由とは、正しく自分で作り出した「~ねばならないサン」の存在だ。「~ねばならないサン」はどんな時でも自分の身近にいる。どんな時でも自分の心の余裕を奪っていく。自分は自由を好み、何にも縛られずに生きたい。可能なら、今すぐにでも家を飛び出し、海外を放浪したい。それなのにずっと「~ねばならないサン」は自分に付き纏う。

自由を奪う「~ねばならないサン」が大嫌いで、憎くて仕方ない。    でもそんな「~ねばならないサン」は時々、いなくなる。          そんな時に決まって登場するのが「~したいサン」である。彼は、いつも元気で活発で笑顔でいる。心にいるだけで満たされる。

きっと今しんどいのは「~ねばならないサン」が”自分はしんどいんだ、強制されて哀れなんだ”と自己主張をしているに違いない。

ここまで、話してお気づきだろうが                 「~ねばならないサン=must思考」                   「~したいサン=want思考」                       のことである。

私は気づいている。mustなんてこの世にないことを。なぜならmustを作り出したのは、自分自身の解釈にすぎないからだ。

したくはない大学の課題も。行きたくはないアルバイトも。全部、源は自分が大学に行く。アルバイトをするという決断をしたことから派生した感情だ。つまり、全て物事は自分の「~したい」という感情を選択した結果に過ぎない。

今思う「やりたくない」という感情も、元を辿れば「やりたい」と思っていた自分に出会わないだろうか?

「must」とは自分が選択した「want」を突き進む中で、上手くいかないことや、思っていたのと違う。という負の感情を救う”救世主”である。

「must」に駆られるとしんどくなる。しかし、その根本には自分が「したい」と感じ選択した過去がある。きっとそれは自分の「したい」を叶えるための”試練”である。mustはwantを叶える過程で出てきた、試練であり、そこから逃げることは”言い訳"なのかもしれない。

mustの根幹には、自分で選択したwantがある。この真理に気づいた自分からは「must思考」が大方消えた。なぜなら全て自分がしたいと望んだ結果だから。mustは自分の「したい」に挑戦している証拠だから。

mustとの向き合い方を知っているのに、まだまだ傷つき不幸を選択する自分へ。毎日、必死に向き合い、落ち込みながらも前を向く自分が愛おしい。毎日頑張ってて偉い。きっと自分だけではない。多くの人が「なんでこんなことしなくてはならないのか」と日々に憤りを抱いていることだろう。みんな毎日頑張っている。「どうして今ここで苦しさと戦っているのか」考えてみてほしい。きっとみんなの「したい」という目的に出会えるから。

今日も自分を愛して、頑張ろう。

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