戦う覚悟を決めた

子どもを産んで10年目の初夏。
やっと子どもと本気で向き合うことを決めた。
ずっと、ただ、逃げていただけの自分が見えた。
もう終わりにしよう。
都合のいい理由をあれこれ考えてやらずにいただけの弱い自分。
やらない理由をできない理由にすり替えていただけのずるい自分。
私が怖がっていたせいで子どもを不幸にすることは、私が子育てで望んだことじゃない。

私は自分に自信が持てないから、子どもに何を示したらいいのか全然わからなかった。
私なんかの決断でいいのか、いつも迷っていた。
子どもの意見を尊重するというのは、素晴らしいことのように思えるけれども、あるべき方向、例えば一般的にマナーとされていること、トイレの後は手を洗う、人前で鼻をほじらない、清潔にするなどを教える必要があるんだということ。
それに加えて、親の価値観が加わってもいいのかもしれない。

毒親という言葉は、テレビでも聞くようになって、酷い親に育てられて心が折れてしまったという人を目にする機会が増えた。
どの親も一人目の子育ては初めての経験で、完璧にうまくいくなんてことは絶対にありえない。
私も、私の親も、たぶん、全員。
でも、毒親という言葉がプレッシャーをかけてくる。
私はそんな風になっちゃいけない。
子どもに悲しい思いをさせたくない。
そんな気持ちがおかしな方向へ進んでしまったのだろうか。

中年のひきこもりが関係する事件が続く。
我が子は、まだ小学生だけど他人事とは思えない。
家族だから横柄に振る舞っていいなんてことは決してあり得ないはず。
暴力や暴言、気に入らなければ物に当たる。
腫れものに触るように、怒らせないように。

それは、私の娘に対する態度そのものに思えてはっとした。

このままじゃいけない。
逞しく生きていける人間になってほしいと思ってきたのに。
好き放題にやらせることと、やりたいことをやらせるのは全然違うことなんだ。

もうすぐ10歳。
まだ遅くないと信じたい。
私の子どもへの態度は、就学前の子どもへのそれと同じまま、アップデートされていなかったのかもしれない。
後になってから毒親だなんだと言われるかもしれない。
抑圧された子ども時代だったと言われてもいい。
成長してそれを乗り越えていくのは、娘の人生の課題。


「ようするに、エミリを思いのままに動かせる万能な存在は、唯一、エミリ自身だろう。エミリの人生を自由自在に創造していけるのも、エミリ本人しかいないんだ」

エミリの小さな包丁 / 森沢昭夫


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