幽霊東京、歌詞解釈
燦然と輝く街の灯り 対照的な僕を見下ろす あのビルの間を抜けて 色付き出したネオンと混じって 僕の時間とこの世界をトレード 夜に沈む
キラキラ光る街の灯りに対しての僕。汚れた、もしくは輝いていない僕。
あのビルの間をぬけて。何かが抜ける、ビルならビル風、灯りが光が抜けるのか、それとも僕自身が抜けるのか。
色付き出すネオンは時間帯的にいえば夕方以降、真夜中未満であると思われる。
僕の時間とこの世界をトレード…
トレードとは交換すること。
この街と僕をトレードする。
とゆう事は僕は燦然と、キラキラと、自分が光ること。しかし、僕の時間ってなんだろうか。
今の僕は全く輝いていない、その時の瞬間を話しているのだろうか。
それならば少し納得がいきます。
トレードとは交換すること、
僕自身が光を放つということはないので、僕は夜の世界での有名、ホスト?、もしくは絵の主人公が女の子っぽいのでキャバクラ。
しかし、MVの服装から見ては違うと思う。
光が当たる。スポットライト。夜の世界では人気とゆうことだろうか。
もしくは昼の世界と夜の世界、普通の自分と人気者の自分、2人の自分とゆうことでしょうか。
色付き出すネオンは歓楽街の事でしょう。それは酒場や娯楽施設がある場所、また裏路地。
キラキラと色とMVの絵柄からはストリートのアーティストっぽく見えるところがあります。
夜に沈むとあります。
夜に同化していくこと、もしくは夜の住人になること、表しているのではないでしょうか。
または沈むとゆう事なので少しずつ浸っていってる様子と思われます。
追加
トレードのところ歓楽街の楽しさと日常はつまらない自分を交換するって感じ。
もしくはそうゆう歓楽街よりも楽しさを演出するってことではないでしょうか。
次
終電で家路を辿る僕の 目に映るガラス窓に居たのは 夢見た自分じゃなくて 今にも泣き出してしまいそうな 暗闇の中独りただ迷っている 哀しい人
終電で家路を辿る目に映るガラス窓にいたのは。
言葉の通りとして、何故終電で帰るのか。真夜中に帰るのか、少なくとも主人公は夜の住人ではないですね、もしホストとかなら終電ではなく、始発などの朝の時間に帰るはずです。わんちゃんアーティストもある。
主人公は少なくとも夕方頃から真夜中頃まで何かをしています。それは歓楽街の代わりになるくらいのもの、キラキラして、ワチャワチャしていて、楽しいこと。(自分が思っているだけ)
次に夢見た自分じゃなくて、今にも泣き出してしまいそうな暗闇の中をただ1人迷っている悲しい人。
ここでのキーワードは夢、悲しい人の対比です。
この夢とはなんでしょうか。
ここではayaseさん自身の夢だったのではないでしょうか。
それは今のayaseさんでもありますが、恐らく昔の自分自身のことだと思われます。
夢見た自分とは冒頭の歓楽街のようにキラキラとしている自分、人の事を楽しませる自分、とゆういつかなりたい理想の自分をこの世界と書いたのではないでしょうか。
しかし、次の歌詞には今にも泣き出してしまいそうな暗闇の中をただ1人迷っている悲しい人。
なぜ泣き出しそうなのでしょうか。
なぜ迷っているのでしょうか。
哀しい人
文字を変えれば悲しいかな
悲しいの意味は「(自分の身の上が)つらくて泣きたくなるような気持ち」だそうです。
「悲」という漢字をよく見てみると、「非」と「心」に分けることができることがわかります。
「非」は、左右に別れる、という意味で、「心が引きちぎられて、いたみかなしむ」という意味を表すそうです
哀しいは「(他人の身の上が)あわれでかわいそうだと思う気持ち」を表すそうです。
確かに「あわれ」は「哀れ」と書きますものね。
なお、「哀」という漢字は「口」と「衣」に分けることができます。
「衣」は、まとうの意味を持ち、同情の声を寄せ合う様から、かなしむ・あわれむの意味を表わすそうです。
また、思いを胸の中におさえ衣で口を隠してむせぶことを表している、という説もあります
愛しいの意味は「(愛する人のことが)たまらなくかわいいと思う気持ち」だそうです。
「悲しい」「哀しい」とはちょっと違った感じですね。
古典や詩的な表現ではよく出てくるようですが、日常会話で使われることはほとんどないといっていいでしょう。
人が死ぬと死者の襟元に、神のお祈りの文である祝詞(のりと)を入れる口(さい)おいてお祈りをし、死者をあわれんだことからきていると解釈されています。
衣で口を隠し悲嘆にくれる姿をあらわしていて、思いを胸の中に抑えている様子をあらわしていると解釈できます。
この場合哀しいなので他人とゆう事になります。
なぜ他人が出るのか…
主人公の過去について言ってるからでは無いでしょうか。
大丈夫、いつか大丈夫になる なんて思う日々を幾つ重ねた 今日だって独り東京の景色に透ける僕は 幽霊みたいだ
大丈夫とは一体誰に言っているのか。さっきの歌詞から見るならば昔の自分に言ってると思われます。
だってなんて思う日々をいくつも、重ねた、んだから。もし今の自分に言っているなら、た、なんて言う過去形使いません。もう過ぎ去ってしまった、取り戻せないあの日々を過ごした自分だからこそ言ってると思われます。
何が大丈夫なのか、まだ夢見た自分じゃないけど大丈夫、まだキラキラした自分じゃないけど大丈夫、今日だっては今日もそんな自分ってこと??
一人は孤独の独り、ここは誰もいない自分自身しかいないことを示す部分であると思います。
東京の景色に透ける…
透けるってのは透過して裏側が見えること。
自分がいなくなる、幽霊みたいに透ける。いなくなるよりも希薄になるようになっていく…
今もそう感じてるってこと?
幽霊自体は死んだものが思いを果たせずに成仏出来ない人。
僕は夢?
透けているのは僕ではなく、存在、夢そのもの、
大丈夫、甘い言葉で自分をゆるそうとしてる。
いつか叶う、いつの日にか、今ではないその時にはとゆう不確定な未来に対しての希望で、幽霊、大丈夫と言ってるのでは無いのでしょうか。
全く今の輝いていない自分でも大丈夫、いつかそうなるから大丈夫。そんな日々がずっと流れてきた。今日も独りで僕の夢みたいにキラキラ光る東京に透ける、東京の人混みの中に紛れていく、僕は誰にも気づかれない、なんにもない、輝けない存在それはまるでこの世にやりたいことを残して死んでしまった幽霊みたいだ。てこと?
失うことに慣れていく中で 忘れてしまったあの日々でさえも 思い出した時に 涙が落ちたのは この街がただ 余りにも眩しいから
失うことに慣れる、何を失うのか。
今のヒビを失うの、キラキラするための努力を失う、要は人気になろうとするのに慣れてしまった。
忘れてしまった日々ってのは昔あんなにも頑張っていた、絶対に忘れないと思っていた、手に入れた思い出さえも日々が経っていく中で忘れてしまう。忘れたくなくても忘れてしまう、思い出した時に涙が出たのは何故?
町がただ眩しいから。それは違うと思われます。とゆうより。惜しい気がします。
この街が眩しいのはなぜ??町がネオンでひかっていたから。僕がこの街のように眩しい人気物になりたかったから、でもそれになる為の努力、辛い思い出も日々が経つにつれて忘れてしまう、それが全てを思い出せないから、もしくは未だにそこにたどりつけず少しずつ光り輝くナニカを失っていくからこそ涙を流すのではないでしょうか。
それは眩しいからでは無いナニカの涙です。
散々だって笑いながら嘆く 退廃的な日々の中 あの日の想いがフラッシュバック 気付けば朝まで開くロジック 僕の言葉を音に乗せて何度でも
散々…物事が非常に悪いさま
嘆く…憂え悲しむ、憂えて憤慨する
憂い…思うようにいかなくてイライラする
退廃的…衰え廃れること、荒れていて健全でない
ここにも色々と意味がありますね!
散々だって笑っているのは、頑張ってはいるけど報われなく、結果が出ないからでしょうか。退廃的な日々の中…ここは荒れていて健全でない、昔との比較でしょうか。
今は上手くいかずに生きていけてない、昔みたいに上手く生きていけてない、夢を追いかけられてないとゆうことでしょうか。
あの日の思いがフラッシュバック(思い出す)
あの日とは最初の冒頭燦然との部分であると思います。あの時の昔思っていた、キラキラとした自分になるということに思い出したのではないでしょうか
気づけば朝まで開くロジック、ロジックはずっと思っていたのは何かの論理か何かと思っていたのですが見落としていました。
ロジックとはDTMのツールです。だからこそ開くんですね!なるほどーって感じです笑
僕の言葉を音に乗せて何度でも言葉通りですね、ロジックでもっと沢山ayaseさんの作品を作りたい、作っていきたいとゆうことです。
失うことに慣れていく中で 忘れてしまったあの日々でさえも それでもまだ先へ なんて思えるのは 君がいるから
ここは前回の奴と同じ通り、、
と思ってましたが、それでもまだ先へなんて思えるのは…
なぜ思えるのでしょうか。キミがいるからまだ先へ行ける…
これまでに君に対しての注釈、意味をつけるものはありません。唐突な君であります。
君とはズバリ昔の自分であると解釈します。
だからこそ、昔思っていた、人気になりたかった、自分が底にいるからこそまだ先へなんて思えるのは先に進めるのでは無いでしょうか。
ねえ こんな寂しい街で ねえ
こんな寂しい街で…
寂しいはなんでしょうか、最初の方では燦然としていて、キラキラしていて自分の時間ととトレードする程のものと思えていた街に対して、今では寂しいとは…何故でしょうか。
昔はあんなにも素晴らしいと思えていた世界が今では寂しさを感じられる程に冷たく、黒々とした、物に変わってしまった。
ねぇって言うのは誰かに問いかけている
私が思うのは過去の自分に問いかけているのではないでしょうか。
ねぇ、私は今こんな廃れてしまった、つまらなくなってしまったこの街に未だに住んでいます。
こんなふうな街、こんなふうな自分になってしまったが生きてはいます。みたいな
燦然と輝く街の灯り 対照的な僕を見下ろす あのビルの先、手を伸ばして あの日夢見た景色をなぞって 僕の時間とこの世界をトレード 明日を呼ぶ
失うことに慣れていく中で 失くさずにいた大事な想いを 抱き締めたら不意に 涙が落ちたのは この街でまだ 生きていたいと思うから
最後のこの街でまだ生きていたいと思うから。
涙が落ちたのはこの街で生きていきたい。理由でしょうか。
無くさずにいた想いも抱きしめたら、失くさずにいた想いを抱きしめ、それは昔の思っていたキラキラした思いを抱きしめた思い出し、噛み締め、新たにもちなおしたとゆうことではないでしょうか。
それに触れて涙が落ちたのでは無いでしょうか。
この街で生きていきたいと思っていた事を思い出したのではないでしょうか。
それは夢にまで見た人になるために、この街でなるために、だからこそ生きたいのではないでしょうか。
君もそうでしょ
最後の君もとは正しく昔の自分に言うのにも対し、これを歌っている人にも言っているのでは無いでしょうか。