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Day5:内面に手を突っ込み自分の中の[呪霊]を日に晒して祓う

 「そもそも自分を形作っているもの、行動の基盤となっているもの=OSのようなものそのものの大部分が、歪んだ価値観をベースにしている」、「しかも、反復的に、植え付けられた支配を受け続けることが自動化し、人生が歪んだ方向に進んでしまう」ということを自覚したなら、ともかく自分で、何とかしていかなければならない。自分の内面に、がばっと手を突っ込んで、その原因を掴んで引っ張り出して、葬るのだ。

 何かに例えて、自分のなかでビジュアル化すると、「葬った感」が出ると思う。外科手術のイメージでもいいが、たとえば、「呪術廻戦」の世界観を借りてきて、自分の中に呪霊がいる、を思い浮かべる、といった方法はより具体的だ(呪霊=人間の負の感情から生まれる存在だから、近いかもしれない)。

 じゃ、その「追い出したい価値観」を仮に「呪霊」として、どうやって見つけるか。まさにそれは「植え付けられた、負の感情」でわかる。

 自分を、静かに観察してみよう。何の問題もないはずのことに、妙に腹が立つ、妙に怖い、妙に不安になる・・・それが「呪霊」の気配だ。その感情を、がばっとつかみ出し、まず白日の下にさらす。

 例えば、「ひとり」という言葉に、過剰反応してしまう。「ひとり」であることが、妙に怖い、妙に不安だ・・・その原因を検索していく・・・お、何かいるので、捕獲しよう。

 はい、出てきました・・・「呪霊」です。叫んでいますね。

 「呪霊」から呼び起こされてくる。呪いの言葉が。「ひとり」であることが、いかに不安や不幸であるか、「ひとり」で勝手ななふるまいをすることは許されない、「ひとり」で生きられるはずなんてない、などなどなど。

 ずいぶん延々と吹き込まれてきた、それは、親自身の不安であり恐れだ。自分への不安のはけ口を、子どもに何度も何度も何度も・・・浴びせることで解消しようとしてきたわけだ。実際は逆に、増長してしまい、さらに、何度も何度も、浴びせることになる。

 そしてことあるごとに、「子どもがいたから、やりたいことができなかった」って、ずいぶん言われてきた。これも何度も。

 これらに、子どものためを思って、みたいなことはないと思う。そのときの目の前の不安を、ゴミ箱に捨てるように投げつけているだけだ。

 でもその分析を「してあげる」必要はないので、その部分は手放して先に進む。焦点を戻そう。「特に考えもしないで吐いた、言葉の毒」の弊害をなんとかするんだ。

 そんなものに影響を受ける必要、あるか?

 「ひとり」であろうと「集団の一員」であろうと、自分の責任を背負って、自己責任の下で人生を生きていくのは当然だ。

 それでも不安はなくならない。なぜなら不安とは、知識と経験の不足からくる不確実性だからだ。

 100%備えるのは、だれにだって無理だ。しかし、自己管理で、リスク軽減はできる。今の私にはそれができる、知識があるし、知識へのアクセスもわかるし、心理的安全性を得られる場所もある。

 ドラマの「ソロ活女子のススメ」で、人が一人で活動することに、他人は特に興味がない、というのがあった。みんな自分のことでいっぱいだから。「ひとり」について、そのくらいの捉え方が、フラットというものなんだろう。だから、過度に反応したり、恐怖を覚えるというのは、やっぱり外部的に植え付けられたものなんだ。

 はい、自分の「歪み」と、調整すべき「ニュートラル」地点発見。

 そんなこんなで、今の私には、この「呪霊」は祓える。

 そう確信を持ったなら、今回は、釘崎野薔薇ちゃんの「共鳴り」のイメージで、まだ自分の中に残っているやつもまとめて祓おう。思いっきり腕を振り上げて、藁人形に呪力を打ち込むんだーー。

 はい、祓いました。

 今後、「ひとり」という言葉は、私の中ではニュートラルです。「ひとり」がよい、であるか、わるい、であるか、中立、であるかは、時と場合と人によります。以上。


 あるいは「ひろゆき」的に、歪んだ価値観を引っ張り出して「論破」していく方法もある。

 ・・・なんて、遊びながら、ハードな作業を繰り返していこう。

 時間はかかる。広大な濁った池の水を、ひしゃくですくっては、真水と入れ替えるような行為だから。でも、やらないより、私はましだと信じている。