230130エリザ@博多座

▽23年観劇記録
0113 エリザ@博多座
0121 エリザ@博多座(昼夜)
0128 エリザ@博多座
0130 エリザ@博多座(昼夜+配信)

もう書くことないと思ったけど、お花様が大楽で“エリザの旅を終えた"というようなことをおっしゃったと聞いて、お花様の前楽(芳雄さんとお花様の組み合わせはラスト)のことを記す必要があるのかもという気になったので。

正直、大楽前日の↑公演が実質大千穐楽みたいなものだったなと。観劇しながら、まだこの時はお花様も"集大成"としか明言してなかったし、次があるかは"わからない"のままの状態だったんだけど、「ああ、これでラストだな。もう次はないのだな」と実感したし、その場の全員が察したと思う。それは、お花様がもう"限界"だという意味ではなく(自身は体力や気力等に何らか不安を覚えていらしたのかもしれないけど、全然それはこちら側にはわからなかった)、何だか舞台から「今お見せしているものは最後です」といった雰囲気がヒシヒシと伝わってきたという感じ。実際、'♪最後のダンス'や'♪私だけに'の大曲を歌いながら、本人たちも何だか「最後まで楽しんで歌おう」というような、どこか晴れ晴れとスッキリしたそれこそ"集大成"のような空気を感じたし、お顔やアイコンタクトや歌い方、二人の息の重ね方から溢れ出ていたと思う。だから観客は、芳雄さんやお花様が歌い終える毎に大拍手でかなり長い時間のショーストップを起こしたわけだし、序盤から定期的に啜り泣いていた。もちろん素晴らしいショーに対する感動もあったわけだけど、かなり冒頭からこんなに皆が泣きながら見守るエリザってそうそうないのではないだろうか。それだけ皆に愛されたシシィだったと言っていいと思う。

彼女のエリザベートが間違いなく日本のエリザベートを形作ったのだし、今のある種異様な盛り上がりを見せているミュージカル人気に一役買ったのだと思う。そして、ミュージカル界のプリンスがプリンスたる所以となったこの作品における井上芳雄さんという存在も。本当にこの立役者のお二方は、それこそレジェンドであって、今なお最高峰だった。その頂点で幕が降りるという。このお二方の最後のステージは歴戦の猛者同士が熱く殴り合い抱きしめ合い語り合うといった風で、もちろんお花様はいつまでもどこまでも上品で知的で華があって可愛いのだけど、要するにこのコンビはお互いの間だけにわかる信頼や絆がお二人の間に確かに流れた時間の中で積み重ねられていたというわけ。お疲れ様、楽しかったよという言葉さえもいらないのね。ラストステージで見つめ合うその姿を1400人弱しか目にすることは出来なかったけれど、これは語り継がれるべきだな、と。

お花様は最後までエリザベートだった。それも、最後の最後までより素敵になり続けた、最高のエリザベート。きっとその最後の瞬間まで芳トートを愛に目覚めさせ続けたと信じたい。カーテンコールでしっかりと抱きしめあった二人の言葉のない労いが全てだと思う。思えば、お花様は娘役らしい立ち位置から芳雄さんと手に手を取り合い東宝エリザを支えた。自分も充分トップでありながら、いつでも芳雄さんというトップスターを立て、そばに寄り添い信頼を寄せ続けた。多くの娘役がそうであるように。東宝エリザはヅカエリザと違ってエリザベートそのものが主役となり座長となる。宝塚版とは役割が変わって来るためにメロディも全然違う。大曲揃いで出ずっぱり、曲の難易度も求められる表現力のハードルもぐんと上がる。おまけに一回の公演にかかる気力、体力の消費という負荷もかなりのものになる。東宝エリザのシシィという役は、正直全くビジュアルでカバー出来ない。きっと今では多くの人が"エリザベート=花ちゃん"と結び付けているだろう、その印象を最後まで裏切らずにシシィから解き放たれたお花様。最後まで凛と立ち続け、最後の最後で芳雄さんの手を離してひとり歩き出した彼女が真にエリザベートだったのだな、と。もちろん新たなステージに行くのだから、ゴールのような書き方はしたくないのだけど。

蛇足になるけれど、やっぱりちょっと触れておきたいのが、ビジュアルでカバーできる問題。もちろん歌が上手いに越したことはないが、今の現状をみてもわかるようにトートやルドルフなんかはビジュアルである程度何とかなるらしい。芳雄さんが卒業した後は育トートが牽引していくのだろうけど、育トート後は何だかビジュアル一辺倒になりそうだなと少し不安に思うことも。育ルキが好きだったけれど、こういう問題を考えるのであればトートになるべき存在だったのかも知れない、なんて。
そして、出来ればああいう宝塚OGにお力添え頂かなくては成立しないようなミュージカル(クンツェリーヴァイ作品のような)は、元ジェンヌ以外は声楽出の俳優に限定してほしい…と過激なことを思ってみたり。やっぱり声楽出の方の発声とか歌い方が一番しっくり来るし、元ジェンヌさんも基礎がしっかりしてる(例え歌が不安定でも立ち振る舞いに説得力がある等、比較的安心できる)ので、ぜひこの二つに重きを置いていただきたい。もちろん元ジェンヌさんが全員ドレス捌きが上手く、華やかで様になっていて歌もそれなりに歌える、というわけではないことは身を以って知っているはずなんだけど。ここでグチグチ言うのはやめておきたいので以下、話を戻す。

'♪私が踊る時'上手く歌おうとせず、ゴールデンコンビの集大成らしく、自由に誇らし気に、そして珍しく全身で全力で歌われていたのが印象的だった。お花様は芳雄さんと訣別するのだなあ、なんて(ロマンチックすぎる…?)。もう、二人でいなくとも二人でいられるんだな、と。ここでも歌っている二人の表情は、エリザベートとトートというより、花總まりと井上芳雄に近かった気がする。二人が二人としての答えを出した感。歌い終えてエリザベートに戻るお花様の背中を見送るまで、芳雄さんはトートの仮面を外し続けたように見えた。名残惜しそうでもあり、楽しい時間が愛おしくて仕方がないといった風でもあり。そういう意味では、二人は限りなくそのものに近かったけど、そのものではありえなかった。観客としての私が、「そうだったのか…」とラストのトートみたいな気持ちになったのが新しい発見だった。最後だから得られた瞬間だったのだと思う。


そして、お花様に限らず、今回は芳雄さんもいよいよ集大成に差し掛かったのだなと気付かされた。19年に観た時はそんなこと考えもしなかったので、お花様の件といい、新カンパニーへのバトンタッチという近い将来必ずやって来るそのことを強く意識させられた。私は、いずれちゃぴザベートとまどかちゃんシシィのWキャストが必ず実現すると信じてるし、無茶だと知っていてもレイさんルドルフを夢見てしまう…。その頃には芳雄さんはトートを降りるのだろうから、また別の新たなエリザベートとして観劇するはずだ。

芳雄さんトートは、妖艶で冷酷な黄泉の帝王とは少し外れたトートだったと思う。黄泉の世界に誘い、隙を見せられれば絡め取る…というエリザのストーリーとは少し外れたストーリーを紡いだ。少女に一目惚れした瞬間から人間と同じステージに降りてきてやり、しつこくまとわりつき、謎の自信に満ち溢れていながら思い通りにいかないと憤り傷付くトート。今年は、初めから終わりまで絶対に自分が勝つという自信の一点張りで、人間の死や悲しみなど知らない、同じ土俵には立たないといった風だったが、最後には変わらず人間の顔をしてシシィの顔を覗き込んでいたのだから、やっぱり繊細で悩み多そうな黄泉の国の王子、といったところだろうか。芳雄さんは根っからのルドルフなんだなあ。芳雄さんクラスタは、こういう葛藤する繊細な王子(役柄ではなく、肩書き、役割としての王子)である芳雄さんのことが愛おしいのだろうから、ルドルフの棺に足を掛けて「まだ私を愛していない」と失望するトートでちょっと安心するのかもしれない。

芳雄さんも集大成に差し掛かったのだと感じた理由の一つは、(前楽や楽における)若手への労いを舞台上に残したことだ。ルドと握手するシーンはもちろん、ルキとの絡みやちゃぴシシィと歌い終えた後の表情やアイコンタクト等、トートを外した瞬間というのが見受けられた。もちろん芳雄さんが最後の最後だけの参加だったこと、博多が大楽だったこともあるだろうと思う。それから、ご自身もかなり多忙で、舞台外でゆっくり会話をするような時間もなかったのだろう。トートとしての時間を削ってまで井上芳雄として向き合ったのは、とても意外だった。エリザベートの幕が上がっている状態で私たちとそれを共有する意図を思わず探ってしまった。それは、百恵ちゃんがラストを飾るステージでマイクを置いて立ち去ったように、最後の瞬間を供にしているような気分だったから。とはいえ、帝劇休館や版権の問題はあれど、M!の時のようにおそらく卒業時はそういう売り方をするだろうな、とは思う。特に東宝エリザにおける芳雄さんは。ただし、ちゃぴのお相手が不在の今、まさか希帆ちゃんエリザというわけでもないだろうし、どうするのだろうか…。どちらにしても、もう全国ツアーはないだろうから帝劇のチケ取りが大変かもしれないなあと思いつつ、芳トートの復活を待つ日々がまた始まったわけだ。

お花様のことを書き記すと言いながら、結局芳雄さんの話で終わってしまうのが何とも複雑な気持ちだけど、何を書き続けても残したいことと違うとなりそうだから終わる。いつか和音美桜さんのゾフィーが観られること、再び芳雄さんトートに出会えること、ちゃぴちゃんまどかちゃんシシィの時代が来ること、美麗ちゃんのルドヴィカ&マダムヴォルフが実現することを夢見て。

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