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近代とは個性を殺す也

誰でも訓練すれば出来るというのが近代の職業だ。

レジ打ちでもタクシーの運ちゃんでも、事務職でも営業でも

銀行員でも、一定の水準があればモノになる。

どうしてそうなるのかと言えば、高度な資本主義社会では、

歩みを止める事が許されないから

1人脱落すれば、同じスキルを持つ人間が後ろに控えていないと

会社は不安でたまらない。

もちろん、教育は教育でこのような社会の歯車を産み出すように

人間を教育してきた。

疑問を持たせず、教師に従順に従うように、自分で考えずマニュアルに従う事、マニュアルさえ遵守すれば失敗しても、お前の責任ではないと

部品に創造的な思考は要らない、言われた事を理解できれば良い

質問するな!質問は創造的な分野だ。

お前は人が質問した事に答えるスキルだけを持て!

日本の学生は質問が下手だ。

いつも質問を解く事しかしないから質問が思い浮かばない。

たまたま1つ良い質問が出ると、それと似たような質問をする。

誰でも覚えがあるはずである。

それは歯車だからだ、歯車は何で自分が歯車なのか考えない。

考えない方が楽だ、個性を消し、マニュアルに従い

質問を理解し答えるのが仕事だから

では、農業はどうだろう?職人はどうだろう?作家はどうか?
軽業師や能楽者はどうか?噺家は?

近代以前からある仕事はマニュアルでは完成できない。

自然や素材や人を相手にする仕事には満点がない。

これらの仕事は、最初に習い覚えると後はマニュアルがない

どこまでも自分の責任で、ひたすら自問するし、

師匠は、腕が上がると、ああしろこうしろとは

だんだん言わなくなる。

むしろ土下座して質問するのはこちらになる。

近代は規格内に収まれば完成、前近代は規格などなく

ひたすらに腕を磨いていける。

つまり、前近代の方が人は個性的だったのだ。






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