盛る

歴史の捏造? 琉球帰化人の功績を盛る


琉球には、日本からやってきて帰化した人々がいます。
特に、薩摩の琉球侵略の頃に王府のサイドに立って戦った人には
王府は特段の意を払い史書に反映させていますが、
その記述は実際の功績をやや盛ったものになりました。

越前 山崎二休守三さんの場合


葉姓伊集家の先祖である山崎二休守三さんは、越前の産まれで
医者でしたが、琉球に住みついて、王府の典薬に採用されます。
その後、島津氏の侵略に遭遇し、西のアザナの見張り台で
防戦して法元弐右衛門の一隊を退ける活躍をしますが、
尚寧王が降伏したので、山崎は下城し、家に帰る途中で
負傷させた法元に捕まります。

同じ日本人に攻撃されたのが法元には立腹で、
「日本人なるに本望を忘れたか」と罵り、
これを処刑しようとしますが、それを聴いた尚寧は、
珍宝を贈って罪を購ったと言われています。

王府の記録では山崎さんが
尚寧の徳に惹かれて来た事に


しかし、山崎さんの手柄は王府の資料では盛られます。
たまたま、琉球に流れてきた山崎さんですが、
それは尚寧王の徳に惹かれて琉球に来たという事になり、
同時に、情け深く、山崎さんの命を珍宝で購う、
尚寧王の慈悲深さが強調された記述になるのです。

厳密に言うと、嘘を書いているわけではありませんが、
大和人の山崎が命を懸ける程、尚寧王は立派な王様だった
というような尚寧王Age記述になっているのです。

力では負けたが徳では負けないと言いたい王府


どうして、こんな盛りが行われたのか?
それは敗戦という事実を受け入れた上で
琉球国のプライドを保持するにはどうすればいいか?
それを考えた上での措置でした。
勝敗は動きませんから、力では薩摩に負けましたが
喧嘩が強いだけの薩摩と違い、琉球王は徳の御仁だぞ
人徳の君であるぞという内面勝負に、
敗戦をスライドさせて行ったのです。

沖縄には、薩摩軍を撃退する儀部鉄人や、
術をかけて島津の殿様を眠らせる謝名親方や
トンチで島津の殿様をやりこめるモーイ親方などが
出てきますが、それらは、まさに、
この王府の心理の民衆版と言えます。

力では負けたが、知恵では負けないぞ、
一対一では負けないぞ、そういう鬱屈した
ストレスを解消する為に、当時の人々は、
色々な話を創作したのです。

琉球・沖縄の歴史を紹介しています。
http://blog.livedoor.jp/ryukyuhattuken/

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