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表裏がある人間になるべし

世間の建前の甚だしいものには、裏表のない人が素敵というのがある。
こんな偽善的な評価もないだろう。裏表のない人間なら、赤ん坊が一番だし
それに次ぐのが幼稚園くらいの児童だから、それに学ぶといい

あの連中は全く裏表がない、気分の向くままに太っている大人を見れば
デブ!ブタと指をさしながら気持ちよいほどの笑顔で笑い
あまり容色の宜しくない大人にはブスと投げつけるし、
ウンコ、シッコ、チンチン、ビチグソで、壊れたように笑い続ける。
全く打算が無く、気の向くままだ。
だが、こんな表裏の無さを、そのまま真似る大人がいれば、
失礼だが極大のバカだろう。

結論を言うと、大人になるというのは態度の裏表を持つという事だ。
ガキの頃には、関係性は両親や兄弟や、精々学校の先生しかない。
それなら、特に裏表はいらない。素のままでいいし、
むこうだって思慮が足らないバカなガキが言う事と大目に見る

しかし、社会人になると、そうはいかない同僚、部下、上役、
上役にも肩書で対応に差をつけるという裏表が必要だ。
同僚には、そいつが信頼できるなら、
ぞんざいな口を利いてもいいし、上役の愚痴や不満もいいが
上役の前で上役の愚痴や不満はダメである。

どうして裏表を使い分けるのか?
人に不快な思いをさせない為である。
本音ほど危険で扱い注意なものはない。

同性ならキンタマを見せ合えるくらいのダチ以外に言えんし
異性なら肉体関係くらい持たないと言えんだろう
目測を誤ると、一瞬で人間関係は崩れる。

この危険で自分も相手も傷つけかねない本音を覆い隠し
裏と表を使い分けて、うまく己の得体の知れないストレスを
解消しつつ、渡っていくのが人生というものだ。

諸君!己を追い詰めず、他人を傷つけない
優しい大人になる為、巧妙な裏表を持つべきである。
その為にとりあえず、自分には裏表などない
誠実な人間であるという仮面をかぶりたまえ

今日のニュースを語ります。