琉球国の後の先
琉球国が中国と貿易を始めた頃、琉球には硫黄と馬しかありませんでした。
後には、漆器や螺鈿細工のような工芸品も生み出した琉球も初期には、
天然資源に頼るしかなかったのです。
そこで、琉球は船を駆使して、中継貿易を開始して、中国の陶磁器を日本へ、
東南アジアの蘇木や象牙のような産物を中国へというような貿易を
開始したのです。
その時、東南アジア向けに琉球が大量に輸入したのが、なんと日本刀で、
切れ味のよい日本刀は政情不安な東南アジアでは需要があったようです。
しかし、困った事が一つ、日本刀は両手持ちなのに東南アジアでは
片手持ちの刀剣が主流だったのです。
そこで、琉球は、日本刀を刀身だけ輸入して、束と鍔は自作します。
片手刀のニーズに合わせる為に、束を短くして、束と鍔と
刀身を合体させてメイド・イン琉球で売り出したのです。
この加工した日本刀はバカ売れし、20万振りが輸出されたとも
言われています。
このような加工日本刀は、ゴーレス、リキーユと呼ばれました。
リキーユとは琉球が訛ったものです。
人間は、何でもオリジナルを造り出せるわけではありませんが
元々のオリジナルに手を加えた二次オリジナルは、
そこまで難しくありません。
ブログでも一次情報をただ転載するだけでなく、独自の視点を加える事で
随分、読まれるようになるのは、経験がある方も多いでしょう。
後の先とは、剣道の言葉で、先手を打たれた後に打つ攻撃の方法です。
人間常に先手が打てるわけではないので、先に打たれた手を上手く利用して
自分のメリットにする、琉球の知恵には見習うべき点があります。
http://proto.harisen.jp/mono/mono/nihonn_tou_ryukyu.html
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