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心から「いい」と思ったものを、「いい」と言うことから始めるのがいいのかなと思った

何でもかんでも、いいね!って言うのは、ポリシーとか、「自分は、こういう男だ」っていう部分もあるし、何にでも探せばいい部分があるもんだという、柔軟な考えもあると思います。

ただ、社会人として仕事をすると、120%ぐらい相手に合わせるシーンなんて、山ほどあります。

時には、全く、いいと思わなくても、反射的にいいね!って言ってることなんて、処世術というか、生きていくうえでは、しょうがないです。

だけど、そういう周りに合わせる侵蝕率が、200%を超えたあたりから、自分がいいと思うものすら、相手に合わせるのが普通になったあたりから、だんだんと、自分は、どうしたいのか?という疑問が起きてきます。

そういう時、なんか、自分を失ってるような、感覚ってあると思います。

だからといって、「やりたいことで生きていく」みたいなことで、集客する人たちみたいな話も、なんか苦手です。

なので、私は、心から「いい」と思ったものを、「いい」と言うことから始めるのがいいのかなと思いました。

ただ、調べると思うんです、自分がいいと思ってるものが、どう評価されてるか?音楽でも、自分がいいと思ってるものが、あまり、再生数が伸びてなかったら、あんまりなのかな?とか、

そうじゃなくて、全く、誰にも、理解されなくても、私は、これがいいと思う。ってことを重ねていけばいいと思うんです。

たぶん、心がどっかで、くじかれたんだと思います。カナヲみたく、心の声が小さくなったんだと思います。

だから、誰かが評価したものしか、いいと言えなくなってる自分がいるんだと思います。

いいの裏返しは、嫌だとか、嫌いという感情もあります。

嫌いになることすらも、評価してジャッジして嫌いになろうとします。

そうじゃなくて、私は、嫌いかも。と、思うところから、始めていいんだと思います。

なんか、そんな感じの話です。

サポートされたら、嬉しくて飛び上がっちゃいます。