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なぜ、おはようおじさんが、おはようおじさんと言われるのか?

美人のアカウントに、突如あらわれ、親しげなあいさつをかます、おはようおじさんがいます。

老若問わず、ていうか、若い方に集中するのですが、じゃなくても、子供がいようが、美人そうならなんでも良いのか、手当たり次第な雰囲気が伝わってきます。

もちろん、その美人個人の発信に共感して、思わず、応援したくなった!という純粋な御仁紳士もおられましょう。

しかし、たまたま、色んなところで、いろんな美人に、犬のマーキングの如く、おはようをしてる姿を見かけると、「ああ、これが、おはようおじさんか」と、思ってしまいます。

お金を持っていれば、適度にスナックやキャバクラで使い果たし、お金を維持できる範囲内や、やや範囲外で、需要と供給の渦に消えていっていた人々が、

SNSという、タダで、美人と、からめるチャンスが到来したわけです。

しかし、発信側の美女も、有名になりたいと、野心を持っているパターンもあるため、一概に、おはようおじさんだけが悪者ということもありません。

男女の友情が成立しないように、美人のアカウントへのおはようおじさんからのコメントに下心が無いわけがありません。

相手が、そんなつもりだとは、思わなかったというのは、お互いに、そんなことねえだろ。と思ってしまいます。

さて、思うところがあって、ぶちまけていますが、

なぜ、おはようおじさんが、おはようおじさんと言われるのか?

おそらく、下心が見えまくっているからなのだと思います。

美人のアカウントばかりに、こまめに、あいさつしまくってたら、そりゃ、そうですよね。

だけど、私、思うんです。

果たして、おはようおじさんだけが、悪いのかと。

自己責任なのでしょうが、目が肥えてしまってるんですよね。

アイドルとか、芸能人とか、テレビをつければ、自分だけを見てくれるって錯覚するように、できています。

一生、話すことができないような、美人と、コメントのやりとりもできる。

そうすると、その先を夢見ちゃうのも、仕方がないのかなって思うんです。

消費って、手に入りそうで、手に入らない時に、ものすごくお金使うんですよね。

まあ、ここまで書いておいて、無責任な感じですが、おはようおじさんが、おはようおじさんと言われる行動をしていても、それは、自由なんですよね。

それに、私は、コンビニでお釣りをもらう時に、美人の店員さんと手が触れるだけで、運命の人!と思ってしまう人なので、全く持って、人のことをとやかくいう筋合いも無いんです。

でも、どうしても、言わずには、おれなかった。そんな感じなんです。

サポートされたら、嬉しくて飛び上がっちゃいます。