自分で敷居を上げている
継続は力なりという言葉があります。
私は、Noteもジョギングも継続していますが、知り合いで継続が継続になっていない人がいます。
どういうことかというと、「ブログを続けると仕事の売上が上がる」と意気込んで、ブログの毎日投稿を始めて2ヶ月3ヶ月続けて、やめちゃうんです。
話を聞くと、売上も上がらないし、5年以上続けてるのに、うだつの上がらない人を見てしまい、続けても意味が無いと思ったからと言います。
何事も、本人の自由なので、それは、本人がそう思うならそれでいいのだと思います。
ただ、話を聞いてると、ある時は、ブログを書くとアウトプット力が高まるとか、自分のためになるとか、もっと成果を上げるためには、記事の書き方を工夫しなければならないとか、意味を求めようとしてるようでした。
私は、継続できない人と、継続できる人を明白に分けるのは、ここなのでは、と、思いました。
継続できない人は、続けて意味があるものにするために、自分で敷居を上げる、ハードルを上げているのです。
そうやって、さらに高みを目指すならいいんです。
しかし、たいていは、ダイエットの停滞期と同じで、やってもやっても、効果が出ないから、いろんな意味を求めようとする。
だけど、そういう動機づけって継続を支える要因には、ならないんですよね。
むしろ、明日のことも、その先のこともわからない。だけど、今日だけ、続けてみようって、意味も意義もわからないけど、続けてみるっていう、動機付けがあるのか無いのかよくわからない状態で続けることって、大事なのかなって思ってます。
そして、もう一つは、期待しすぎて自滅してるんだと思います。これを続けたら、自分は、超サイヤ人になって無双できる。とか、思っちゃってると、実際は、モブキャラ止まりの自分を見て、がっかりします。
そして、モブキャラのモブキャラたる理由が、継続にあるならば、余計に、続けても、モブキャラにしかなれねえじゃん。って、思い込んでしまいます。
継続で、超サイヤ人になれるという期待が大前提で、継続をしてるわけですから、そりゃそうです。って話なんです。
今回の話は、私が、継続ができていて、素晴らしいって話じゃなくて、成果が上がらない!って嘆いてる人が、なぜ継続できないのかってのを見た時に、共通して、敷居を上げる、ハードルを上げるってことがあるんだなーって、なんとなく思ったって話です。
サポートされたら、嬉しくて飛び上がっちゃいます。