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承認欲求より、称賛欲求なんだと思う

承認欲求を満たすために、SNSにハマるみたいな構造を指摘するところって多いと思います。

確かに、私も、そう思っていたんですが、

いろいろ話を聞いていくうちに、どうも、承認欲求を求めてるというより、称賛欲求、称賛されたいって感じがするんですよね。

認められたいって言ってる人って、もっと、積極的に、称賛されてチヤホヤされたい感じがします。

だから、流行りの芸人のセリフをもじったり、パクったりして、ウケを狙うんですけど、それで笑うのは、スナックのねーちゃんぐらいなもんで、

それを言うのは承認ではなくて、ギャグを言ったらウケて、物申せば心に刺さるみたいな、タレントにでも、なったんか?って、思われるようなことをやってしまってるわけです。

そんな、私の黒歴史を「オレも昔は、若かった」と、恥の上塗りをしながら、私は、生きていくわけなんですが、

それでも、そんな、黒歴史の覇者の私から見ても、称賛欲求で満ち溢れてるな。って感じの人を見かけるわけです。

やはり、同族嫌悪というか、私が、称賛欲求強めなだけに、相手の称賛欲求は、見逃さないわけで、敏感に、早めに芽を摘んでおかなければ、私の、中二病ポジションが危ぶまれる理由から、わけもなく、そういう人を攻撃してる次第です。

自分がやってたことを人がやると、こんなにも恥ずかしいものなのか、と、「面白い人と思われたい」「言葉が刺さる人と思われたい」「憧れられる存在になりたい」ってやってる人を見ると、私の黒歴史をデジャブ?と、思うほど、見せつけられて、いたたまれなくなるのでございます。

だから、承認欲求までは、しょうがない、許そう。その人が、興味が無いだろう猫とのツーショットを必死に投稿してても、それは、許そう。

だけど、「面白い人と思われたい」「言葉が刺さる人と思われたい」「憧れられる存在になりたい」が見え隠れするのなら、そっと、ページを閉じよう。これ以上、黒歴史の傷跡が広がらないように。

そう思うのでした。

サポートされたら、嬉しくて飛び上がっちゃいます。