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Noteって、最初全然、書けないんだよね

私は、Noteを書きはじめのころ、Noteの白紙感に直面していました。

真っ白な画用紙に、何を描いてもいいと言われても、案外描けないものです。

真っ白な画用紙を渡されて、シマウマの絵を描いて下さいと言われても、困ります。画伯な私が描いても、棒人間の延長のような、絵ぐらいしか描けないからです。

そんな私が、何を描いてもいいですよ。と言われても、自ら、棒人間と見紛うほどのシマウマを描くはずもありません。かといって、他に気の利いた絵をかけることもないので、結局、描かないという選択に落ち着くか、どうにか、アンパンマンやおしり探偵を描くのが精一杯です。

そこに、少なくとも、自ら描く楽しさは、皆無だと思います。

さて、では、Noteは、どうかと言えば、絵にすれば棒人間の延長のようなシマウマを描くように、文章を書いています。

うまくなってるわけでもないし、誰かの美意識を満足させるものでもありません。

それでも、なんとなく、書く楽しさを持って書けるようになりました。

でも、

Noteって、最初全然、書けないんだよね

って感じでした。

一番感じたのは、Noteの白紙感なんです。

白紙って、自由だと思うんです。

でも、自分が描いた瞬間から、自分なんかが描いてもいいのかな。って気持ちが湧くんです。

自由であるがゆえの、不自由さでしょうか。真っ白だと、描けないんですよね。

そういう、白紙感が、Noteにあって、書けないってことが多かったです。

勇気と言えば、勇気かもしれません。勢いと言えば勢いかもしれません。

自分なんかが書いても、意味ないよ。とか、いろんな意味を考え出すと前に進めません。

でも、ほんのちょっとだけ、それでも、書いてみたいって思う気持ちが上回って、書いてるうちに、書けるようになります。

だけど、気を許して油断すると、また、書けなくなったりします。


自由って、最初は、逆に不自由なんですけど、どの時点かで、急に、自由に感じる時って出てきます。

Noteって、得られるのってそういう自由さなのかなと思います。

サポートされたら、嬉しくて飛び上がっちゃいます。