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東方、インターネットでサバイブできてなくない?

にじさんじの壱百満天原サロメが「きゅうくらりん」を歌ってみた。

みんなご存知まらしぃも「きゅうくらりん」の弾いてみた動画を出した。

一応説明すると「きゅうくらりん」とはボカロ曲である。
2年弱で3400万再生に達したバケモノ楽曲だ。

「きゅうくらりん」の2次創作的なものはYouTubeで検索すればたくさん出てくる。

大事なのはなぜ「きゅうくらりん」はこれだけ広がっていて東方においてはほぼ無風なのか、なのである。
(なお、あるにはある)

別に「きゅうくらりん」について語るわけではない

考えてみればあれだけMADが出た「トウキョウ・シャンディ・ランデヴ」もAIひろゆきも何か無風だった気がする。

無風というのは作品がないことではない。
「流行りものに対するアクションが異様に少ない」ということである。

淫夢時代は即座に融合した東方(良い悪いはさておき)。
昔からアングラとは格別に相性の良いIPなのは間違いない。

しかし現状、アングラMADにすら手が伸びていない。
「ゆっくりがあるから!」と反論する人もいるかもしれないが、時代はずんだもんである。

2022年の「この東方アレンジがすごい」に選ばれた「インターネットサバイバー」。

これは痛烈な皮肉である。
東方、インターネットでサバイブできてなくない?
ここに尽きる。

危機感を覚えなくてはならない。
「アングラな東方」までならまだしも「アングラですらない東方」って、怖い。

ニコニコの弾幕がどうとかYouTubeへの移行がどうとかという次元ではない。

インターネットでサバイブするということ

そもそもどういうこと?
その定義をしないとこの議論は始まらない。

インターネットのおもちゃというものは常に存在してきた。

適当に例を挙げれば「キーボードクラッシャー」とか「らんらんるー」である。
ニコニコに限らないもので言えば「フロントガラスを叩き割った男」とか「この世の終わりみたいなインスタ」とかである。(これらも結局ニコニコで消化される運命なのだが)

今挙げた例について、「古い」とか「懐かしい」とか、人によっては「何それ?」ってなるだろう。

これが「サバイブしていない」ということだ。一過性の現象で終わった。旬を過ぎれば次の話題がやってくる。
そして新陳代謝のように次々と新しいものが話題になり消費される。

「サバイブする」ということは消費されながらも残り続けることだ。
東方Projectは尋常じゃない速さで擦り続けられつつも生きてきた。今も生きている。
生きてはいるが、擦られる速度のほうが早くなってないだろうか?
というか、すでに擦る部分すらなくなってないか?

これが自分の感じる今の危機である

消費される現象

現象は消費される。
さっきの「キーボードクラッシャー」にせよ「フロントガラスを叩き割った男」とかは一過性の現象で終わった。

東方は、東方としての現象をいくつも起こしてきた。
「魔理沙は大変なものを盗んでいきました」「Help me, ERINNNNNN!!」、そして東方アレンジが認知されてからは「東方妖々夢 ~the maximum moving about~」や「Phantasm Brigade」などなど。
そこからは「月に叢雲花に風」や「トランスダンスアナーキー」なども出始め、東方アレンジは現象を連発してきた。

さらに変化として二次創作の二次創作という概念でも現象を起こし続けた。
影絵「Bad Apple!!」、「ゆっくり霊夢」…まぁあとは「クッキー☆」とか?

東方ファンの皆様は疑問を浮かべるかもしれない。
「今も豊作じゃん」「今も面白いのあるよ」

そうじゃない。それは君たちの感想に過ぎない。
人々が認知していないのだ。今の東方で面白いやつ、誰が知ってるの?
現象としての東方は消費のほうが上回っちゃったんじゃないの?

限界集落

東方が「一過性になりつつある問題」について、ある人が含蓄に富んだツイートをしていた。

ざっくり言うとこんな感じだ。
「限界集落がいっぱいあってそれらは時々観測できる」

世代の分断もあるだろうが、ジャンルの分断も発生している。
考えてみればそれもそうで、東方は広すぎて追いきれない。
だからある一定のジャンルにフォーカスし、ファンはそのジャンルに定住する。
それらは限界集落なので観測が困難である。なのでサバイブしていてもサバイブを観測できない。

でも自分としては
「サバイブすること」と「インターネットでサバイブすること」は違くない?
これに尽きる。

限界集落に自分が暮らしている限り限界集落は存続する。
思うにこのツイートには一種の諦観がある。

東方で遊ぶ

まだサバイブしている。それは確かだ。
まだ「東方で遊んでいる」ユーザーはいる。

「東方で遊ぶ」とは原作をプレイするとか、東方ロストワードをプレイするとかそういうことではない。

例を見たほうが早いだろう。

雑に東方キャラを合体させた可愛いキャラが「最高やんK」と合成音声で歌っている。
こういうことだ。

他にもある

「強風オールバック」の頭に残るメロディを残しながら時折東方らしいメロディを挟む動画だ。
多分「ヤシの木」もなんかパロディがある…はず。

あとは伝統である二次創作の二次創作。

「インターネットサバイバー」の二次創作だ。
単にフランちゃんが可愛い。動きも可愛い。
これが85万再生されているということが現象なのだ。

まだある。
Tiktokでバズった「PAKU」の妖夢バージョンだ(これはYouTube Short)

ギリギリ東方はサバイブしている。
しかしこういった現象を連続し続けなければ限界集落になってしまう。
そして誰かが積極的に観測しなければ限界集落は続く。

現象に次ぐ現象

誰かが東方で遊ぶ。それが多くの人に認知されて一つの現象になる。
そして他の誰かが東方で遊ぶ。それがまた現象になる。

そうやって「東方発」の現象が繰り返されることで東方は生き残る。
そしてその土壌はインターネットでしかありえない。

なぜなら例大祭もコミケも「閉じている」のだ。
即売会で起きている現象を外の誰かが観測することはできない。

この記事に結論はない。
ただ東方がインターネットでサバイブするには?という点を自分目線で示したに過ぎない。

自分が言いたいことは一つだ。
みんな、東方で遊べ。

東方で遊ぶハードルは間違いなく高くなった。「やり尽くされてしまった」。
最初は原作のメロディを別音楽ジャンルでなぞれば皆が見てくれた時代は終わり、凝った技術や見せ方が必要になっているのは確かだ。
そういう技術とかがないと草の根になってしまう。

でも草の根でいいんじゃない?

とりあえず、文章でもツイートでもYouTubeのコメント欄にクソデカ感情書き込むでも何かできることで東方で遊ぼう(迷惑なのは当然ダメだが)

一旦認知されるかは置いといて、夢小説でもノートに落書きするでもなんでも良い。
とりあえず東方で遊んでみよう。

少なくとも君が東方で遊んでいる限り君の東方はサバイブし続けるし、誰かの遊びが現象になれば、その現象に次の現象が続けば、東方はサバイブし続ける。
まずは「東方で遊ぶ文化」がサバイブすることが大切なのだから。

終わり。


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