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南吉と戦争と平和~アドバンススペシャル~in安城駅

名古屋で開催されていたピースあいち夏の特別展「新美南吉の生きた時代―文学と戦争と平和」の企画展は終了しましたが、一部のパネルがまだ安城駅で展示されています。
この記事では、安城駅での写真を中心に、企画展の感想を書いていきます。


安城駅にパネルが!

まだピースあいちの特別展が終わっていない頃に所用で安城に行きました。
そうしたらピースあいちにあったパネルと全く同じものがあったのです!
原画展と、原画を元にしたパネルと、特別展の新聞記事の切り抜きが展示されていました。
原画は一点ものなので安城駅だけの展示です。
パネルはピースあいち提供とありますが、同じ時期に同じものが名古屋にもあるので複製でしょう。

一点ものの原画。パソコンを変えたので画像を小さくできない。


アブジのくにが読めた!


てっきり全集にしかないと思っていたアブジのくにが単行本に収録されていました。児童書ですね。
大人が読む文庫本には確かに入っていませんし、もしかしたら絶版かもしれませんが。
感想としては、作品・創作というよりは、実際にあったエッセイのような雰囲気の文体でした。とくにヤマやオチもないですが、意味はたくさんある作品です。

これはピースあいちで読んだ出来事です。写真は禁止なのでメモ書きがメインなので、正確さは保証できないです。
2014年だったでしょうか?
半田市に韓国の高校生がグループ学習かなにかでやってきて『アブジのくに』を読んで、「当時こんな話があったなんて!」という風になって、それでハングル翻訳の南吉作品集を編纂するときにアブジのくにも収録されたそうです。
大日本図書 新美南吉童話集 第一巻

この大日本図書 新美南吉童話集 第一巻には「一枚のはがき」など、てっきり単行本に入っていないと思っていた初期作品が収録させています。


ピースあいち提供(ピースあいちと同時展示)

もう11月なので遅いですが、今年いっぱいくらいは安城駅で展示されているそうです。
年末年始までギリギリになるとまた解らないそうです。



ピースあいちの感想

ピースあいち夏の特別展「新美南吉の生きた時代―文学と戦争と平和」の企画展に行きました。
常設展示の方は地元だけあって
(1944東南海地震 1945三河地震) - 内閣府防災情報
のパネルもありました。
なかなか戦時中の災害って情報が少ないんですよね。
三河地震の方は私の一番上の伯母も被災しました。
7割の被災者は空襲や戦争の話が主で地震の話はしないそうです。しかし伯母はどういう訳か3割の方でした。
伯母は何を見たのでしょう。

私は偏った思想の中で育ちました。
幼いときは祖父母世代の親戚や近所の人はみんなアジア・太平洋戦争を肯定的に捉えていました。
日本は軍備を持つべきで天皇は必要不可欠なものだと喋っていました。
彼ら彼女らは考え方がとにかく偏っていて、私の親戚や近所の人のうち60歳以下の人はもう上の世代に愛想を尽かしています。

だから、空襲ではなく地震の被害に興味を持つのは私にとってかなり危険な橋です。
なぜならば祖父母の世代がいう「戦争は仕方の無かった事」という価値観に近づくからです。

地震は自然災害なので被災するのは仕方の無いことです。
空襲はそうではありません。
しかし地震と空襲を同列に語ると、空襲は仕方の無かった事に変化してしまうのです。
『やむにやまれぬ事』『今日のアジア解放の為に必要だった事』『日本は被害者だけども加害者ではない事』などなど適時言い換えても構いません。
理解しがたい詭弁を聞き続けてきた身ですから、異なる事情(この場合は自然災害と空襲)を同列に並べたら片方の事柄が相手の都合の良いように変化するのは何度も耳にしました。
戦争の矮小化と述べても良いでしょう。

そういう経験をずっとしているので戦時中の自然災害について、
そして一番上の伯母が何を見たのかについて
たくさんたっくさんピースあいちで聞けたのが凄く嬉しいです。
何年も戦争が続けば、世界中で色んな自然災害があったはずです。
しかしそれらは殆ど伝わっていません。
79年前と78年前にあった大震災が下の世代に伝わらないのは防災・減災として大きな痛手です。

よく「そういう状況でおかしいと自覚できましたね」
と聞かれます。
それは……そうですね。どうしてないのでしょう?
「やはり想像力ですか?」
とも聞かれました。
それは違うと答えました。
私には一生涯関わりの無い人が大勢います。
その人たちを想像したり共感することはないでしょう。
ただ、それでふと気づいたのですそういえば「私には赤の他人の人命を犠牲にしてでも叶えたい願いはありません」
と答えました。
そうです。祖父母世代は誰かを犠牲にしてでも叶えたい願いがあるのです。
だから戦争の悲惨さの個別エピソードに心を痛めても、それらは個人レベルの話なので大勢には影響はないのです。

そんな祖父母世代ですが、最近は亡くなる数ヶ月前とかに正気に戻る事があります。
理由は反撃能力の保持に伴う南西諸島のミサイル配備と、旧統一教会です。
前者はピースあいちでも企画展をしていたそうです。
ピースあいちは民営の素晴らしい施設です。

ピースあいち: -戦争と平和の資料館

の説明を忘れていました。民設民営の素晴らしい施設です。  
イケメンゴリラで有名な東山動植物園の近くにあります。
まずはピースあいちを訪れてみましょう。そしてゾウ列車のパネルを見て、戦時中の東山動物園に思いを馳せます。
そして実際に東山動植物園に行くのです。おすすめコースです。



まずはここまで

すいません。安城駅のパネルを早くアップしたくてここで終わりにします。
頭の中では段取りを立てていてもぐちゃぐちゃになる。
植民地支配は必要だったものとずっと言われてきたから。
軍備は持つべきだと言われてきたもの。
誰かが犠牲になっても自分たちがより良く生活すればそれでよかったもの。
沖縄で自分の娘や孫と同年代の少女が暴行されても「基地は必要だ」と言ってきたもの。
「犯人を引き渡してもらえば良いよね?」と言っても通じなかったもの。
「基地は必要だ」で思考回路が容量いっぱいになっちゃうんだよ。
というか国防論がお粗末すぎる。
軍備拡張すれば勝てる、ミサイル迎撃システムは完璧と思ってるんだよ。
国土にミサイルが降ってくるような状況に陥ったら軍拡しようが軍縮しようが関係なくない?
軍拡したら北の将軍様はミサイル撃たなくなるの?
軟弱地盤の基地として役に立ちそうにない土地に土砂を突っ込んだら中国の国家主席は恐れおののいてくれるの?
ああ、頭の中がぐちゃぐちゃ
安城駅のパネルが撤去される前にアップしたかった。