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ゼレンスキー大統領の演説への諸感

ウクライナのゼレンスキー大統領の日本の国会に於けるリモート演説、凝縮された15分間だった…。過度なパフォーマンスもない、15分間に言葉による可能性を求めて一国の大統領として日本に向けての今できる話の全てを注ぎ込むもので、在日ウクライナ大使館員の同時通訳も国難の中、15分間、ゼレンスキー大統領の言葉を可能な限りリアルタイムで日本語にして語っていた。準備も十分に出来てない中で相当の集中力を使ったことだろう。


時間に対し内容が濃すぎる印象を受けたが、今日した演説は記録として明確に残るものにもなる。それも見越してのあの情報量の多さなのではないだろうか。

しかし21世紀、すごい時代になったものだ。戦争(ロシアは戦争とは言っていないようだが…)の当事国、それも侵略を受けている国の方からの話をリアルタイムで聴ける、観れる。自分は大学時代に歴史学を専攻していたのだが、大学の教授が「当事者にならなければ結局は当事者の事なんかわからないし、当事者となったとしても違う人間の考える事が自分と同じ保証はない」というある種の諦めを語られた事があったのだが、少なくとも言葉で、リアルタイムに戦争当事国のトップの演説が海外で出来るようになった、記録出来る様になった事そのものは相当な価値を持つのではないか。

あらゆる文化的行為は基本的に平穏な日常とセットになるように思う。それこそコメディアン出身であるゼレンスキー大統領も、平時であれば演説にエンターテイメント的にウィットに富んだお話も出来るのであろう。しかし亡国の危機に瀕している場においての優先事項ではないのだ。

ウクライナの元サッカー選手として高名なシェフチェンコ氏も「もうサッカーは私にとって存在しないも同然だ。どんなスポーツも見ていない。朝起きたら、どうやって国を助けるか、自分に何ができるかを考えている。両親や友人に電話もして、ウクライナで何が起こっているのか、最新の情報を得るようになった。私にとって、今これが集中すべきことなんだ」と語られており、母国の危機に置いてスポーツをしていられない状況に追い込まれている。

とにかく今日の演説は亡国の危機に瀕しているゼレンスキー大統領の人事を尽くす姿勢が印象的であった。何か大きく天命を導けるよう祈るばかりである。

All I can do is pray for peace in Ukraine.

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