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真福寺の仁王門には古色蒼然とした大きな金剛力士像があります。仏師の素朴な造形美に惹かれます。@岡崎市
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昭和52年発行の「岡崎・史跡と文化財めぐり」(岡崎市厚生経済部観光課発行)には、運慶作といわれるこの地域最大の仁王像に比べてこの仁王門の造りはつり合いのとれない感じがする。と記されています。
ということは、この仁王像は運慶作と言うことになるのですが、
真福寺のHPには、
この仁王門は応永17年(1410)に焼失後、明応3年(1494)に再興されたものである。とあり、加えて、仁王像は永正12年(1515)に建立され、3mを超える巨像である。
とあるので、この阿吽二体の像は運慶作ではないことがわかります。
また、三門前の説明パネルには、仏師宗梅作とあります。
運慶が亡くなったのは1224年(ウィキペディア)なので、現在の仁王像は運慶によるものではありませんが、もしかすると三門焼失以前にあった仁王像は運慶作であったのかもしれません。
仁王像に比べて仁王門が釣り合いが取れないのは、明治維新後の改革で、この仁王門の上部が解体されてしまったからなのだそうです。
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真福寺
建立594年、聖徳太子。 本願施主、物部の守屋の次男「真福(まさち)」
真福寺に残されている古文書によれば、奈良の法隆寺、大阪の四天王寺、長野の善光寺と共に、聖徳太子建立46ケ寺の一つとして寺名を天下にとどろかせた。とあり、
また、聖徳太子伝歴備講によれば「太秦の広隆寺、信州の善光寺、三州の真福寺、讃州の善通寺等、その本願施主名をもって其の寺号とす」とあるそうです。
それにより寺の名前を本願施主が「真福」なので寺号を「真福寺」としたことがわかります。
参考:真福寺HP 「岡崎・史跡と文化財めぐり」(昭和52年岡崎市厚生経済部観光課発行)
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