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UTOPIA 25話「無間地獄」


「あらゆる生物は死ぬとこの地獄という空間へ転送されるんだ。生前の記憶を保持したままね。そして、夥しい程の責め苦を永遠に感じてしまう程長い時間受け続ける。これがSAYAシステムだ」と羊は言った。

「SAYAシステム?」と少女は訊ねた。

「そう、輪廻転生の仕組みそのものを指す。地獄に墜ちた生物は責め苦の終わりに完全に崩壊した心を抱えて、また地上へ戻される。"忌み子"という姿でね。この時大いなる樹の股ぐらから再誕するんだ。忌み子として生まれ直すと、もうそれは永劫に忌み子のままだ。龍にも人にも獣にもなれない。申し合わせも成り立たない。忌み子として地上で死ねば、もう一度この工程を繰り返す。そして"記憶は保持され続ける"」

 羊の説明を黙って聞いている間、彼女らの背後では真っ二つにされた龍が、決死の形相で助けを求めていた。ただの人である少女に。

「あの龍は青い炎によって殺されたんだ。超越者は基本的には不死だ。けれども青い炎は不死性を焼き切ってしまうんだ。折角死ねたと思ったらこの様だものな、同情するよ……話が逸れたな」と羊は言った。

「私はここで痛い思いをしていない。それはどうして?」と少女は訊ねた。

「覚えていないかもしれないけど、君は子供の頃に"波音の古龍"を受け容れていたんだよ。その古龍が地獄の試練を請け負っている。あれは人間時代に娘を亡くしているから、入れ込んでいるんだろうな」

 波音……少女は海というものを実際には目にした事がない。人から話し伝にそういうものがあると聞き齧った程度である。にも関わらず、確かに大量の塩水が砂を削り、寄せては返す、白い飛沫、反射する陽光、その爽やかな音色をどこかで……。

「皆がここで苦しい思いをする必要ってあるの?」

「それは二巡目の世界ができる要因となった一つ目の願いが反映されている。闘争の再開。これによって、どんな生命も永遠の苦しみを背負う事になった。二つ目の願いであるやり直し、これはSAYAシステムとなった。過酷な運命の強制と記憶を保持したままの輪廻転生、君が知りたがっていた世界の仕組み、その正体だ」

「私が知りたがっていた?」

「そうだった、一部の記憶を涙の龍にくれてやったんだったね」 

 地獄では音の伴わない爆発が四方で起きていた。無音の爆発が起きる度に人の頭や獣の尾や龍の牙が降ってきた。

「さて、本題に入ろう。私との申し合わせを受けなさい。サリー、君をここから連れ出してやろう」と羊は言った。

「羊さんにとって何の得があるの?」

「退屈しのぎだな。私の地上観光ツアーに付き合ってくれ。君だってここにいて良い事は何もないよ。いずれ古龍を無理矢理引き剥がされて、一人と一匹は何億回と八つ裂きにされた後に、忌み子として生まれ変わる」

 サリーにとって羊の話は情報量が過剰だった。そのため上手く判断がつかなかった。その時、背後から喰い込むような視線を感じて振り返った。そこには角の生えた影が立っていた。直感であれはよくないものだと悟った。

「獄吏が君に目をつけた。古龍を引き剥がしに来るぞ。さあ、サリー私との申し合わせを受けるんだ」と羊は言った。

 それでもサリーは上手く頭が働かず、どうしていいのかわからなかった。酷く疲れていた。なぜ、なぜ我々はこんなにも過酷な罰を受けているのだろうか。原因は羊が教えてくれた。しかしまるで納得いかない。産まれてしまった事は誰の責任でもない……皆は、私達は、どうすれば救われるのだろう……その疑問が頭を過ぎると、躰が芯からぐらぐらと揺れるような感覚がした。それから間もなく、彼女の中で津波が起きた。


私は何千年も生きた龍であるにも関わらず、人のままなのだ…君は大切なものを喪った、しかもそれを忘れてしまったから、きちんとお別れができなかったんだね…サリー、天使って知ってる?…無くした半身が痛むか?…どうして月を目指すのかな…ずっと、ここにいればいいよ…サリー、一人で出歩いたら駄目だ…月に行くのは間違いだよ…実は、我々は皆大きな樹から産まれたと言ったら君は信じるかな、我々の親という役を持った人達もそうだ、僕は信じられなかったよ、君ならどうだ…あれは忌み子だよ…私の住んでいた町は大きな火の鳥に焼かれてしまったの…魔法使いには昔会った事がある……宇宙へ行くための機械、日記、獣、ベッド、火、縫いぐるみ、乳母車、死、大きな樹、龍、波音、剣、馬、魔法、道、眠り、不死、倦怠、靄、蟲、オルゴール、涙、皆が泣いている。


「ありがとう」


「ねえ、羊さん」とサリーは切り出した。

「早くしてくれ。彼らの目を誤魔化すのも大変なんだ」と羊は言った。

「私、皆の理想が知りたいかもしれない」

「皆の理想か、それはここにいても知る事はないだろう。私と地上を回って、その理想とやらを知っていけば良い」

 いつの間にかサリーと羊の周囲には人の顔の皮が数十枚浮かんでいた。角付きの黒い影がそれを彼女らに盾のように向けてどんどん近寄って来る。

「サリー、私の手を握れ」と羊は少し焦ったように言った。

 まだ頭の中は霧がはったようにぼんやりしている。しかしサリーは羊のふわふわとした手を取った。


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