ぎんなんマニアック!2023 note
2023年11月28日、目黒区緑ヶ丘文化会館で、めんどくさいカフェDX.vol.1 「ぎんなんマニアック!」を開催しました。そのとき、さてぎんなんを煎ってみよう、という前に発表した、実験とやっつけガリ勉リポートの採録です。 (2024.8.21)
DX.のはじまり、はじまり
「なんか、さらにナイスめんどくさいことをやるデラックス回をやろうよ」ということは、はじめてのイベント出店が終わった5月ころからサクマーさんとぶつぶつ言い合っていました。そのやりたいことを挙げていったらすでに両手の指で間に合わない。そして、あっという間に秋が来て、9月の終わりに、DX.の前身となる本邦初!?殻(パーチメント)剥きからやる「超・めんどくさいカフェ」をやってみたら、ああ面白い。「次はどうする?じゃあ、ぎんなん!」ということになりました。
ぎんなんの実(み)は葉が青いうちに落ちる!
じつは、ぎんなんを拾ったことがなかった私は、なんとなく「黄金色の落ち葉の絨毯のなか、オレンジの実を拾う」という麗しい絵を想像して疑いませんでした。9月中旬に街路樹の下に実をみつけても「ん?…でもまだ葉が青々してるし、大丈夫か」とのんびり構えていました。黄葉のピークが11月末ということをインターネットで確認して、サクマーさんと予定を擦り合わせて、じゃあ、と11月28日に緑ヶ丘文化会館の調理実習室を押さえた直後「ぎんなんの実は葉が青いうちに落ちるんですねえ」とか「黄葉のころ行ってももう遅いので注意!」なんて記事が急に目に入り、大慌て。来年にするか…とも思ったんですが、とりあえず実験だけしようぜ、ということになり、11月の最初の日に地元の銀杏の名所である東工大にお邪魔して、ぎんなんの絨毯を発見。はしゃぐ私を尻目に、サクマーさんは「小さい!こんなもんじゃない!」と不満げ。でも帰ろうと正門に向かう道で、そのサクマーさんから歓声が。掲示板の裏に、もっと大きな実が落ちているのを発見し、駆け寄って狭い隙間に入り込み無心に拾う姿が素敵すぎて、カメラ(スマホ)を向けるのも忘れて見惚れてしまいました。今日はその大きい実と小さい実、両方を持ってきました。すでに約1ヶ月間、冷蔵庫保存しています。鮮度や味に異常がないかは昨日、確かめてあります。ちなみに保存方法についても諸説あるので、インターネットでたくさんの人の言うことをそれぞれを検討してみてください。
実験は大成功
さて、実験というのは「一日のうちに果肉を取って、洗って乾かしたものを、煎って殻をハゼさせて食べることができるのか」ということです。なにしろ「実を数日間、臭気に耐えながら水につけて果肉を取り」「洗ったら二〜三日、天日干しで乾燥させる」というのが通説です。この臭気のもとは果肉に含まれる「酪酸(らくさん)」という成分で、よく「腐った脂肪の臭い」「蒸れた足の臭い」などと身も蓋もない例えで説明をされています。あの臭いです。
「臭気に耐えながら水につけて果肉を取る」については、ヘチマたわしの制作で、その工程が必ずしも必要ないことを知っている私は、頭から懐疑的だったので、自信はありました。自信があったし、「臭気に耐える」というのは、この東京都目黒区の住宅密集地に暮らしている以上、イコール不可能なことだ、と言われているようなものですから「不要でないと困る」「不要であってくれ!」という祈るような気持ちもありました。
結果は、バッチリ大成功でした。果肉はフニャとしたジャム状で、指で簡単にこそげ落とせます。拾ったその場でなるべくきれいに落とし、その場に残して土に還ってもらう作戦です。もちろん、この時、厳重に手袋をして絶対に、果肉に触れないようにしなくてはなりません。果肉に激しい皮膚炎の原因になるビロボールという物質が含まれているからです。ちなみにビロボールは、ウルシ属植物が持つウルシオールと構造が似ているので、ウルシかぶれのある人は特に注意、みたいなことも、何処かに書いてありました。手袋は、使い切りのビニール手袋を使いました。危うくなったらすぐに脱いで新しいものに交換できるので、指先を使う繊細で大胆な作業をしても、安心でした。
もうひとつは「天日干ししてカラカラにしないとハゼないか?」ということ。これもそんなことはないことを実証しました。調理室のシンクでザルにあけて完璧に果肉をとったぎんなんを、ほんの三十分ほど窓辺に置いて水を切り軽く拭いたものを、10個くらい茶封筒に入れて、電子レンジに3〜40秒かけたら、ちゃんとポンポンと2〜3回はぜ音がして、美味しくいただけたのです。
ちなみに大きいもののほうが味わい深くはあったけれど、小さいのも、素朴な美味しさがありオヤツ感覚なら十分いただけました。色は、翡翠のようなハッとするものは、やはり大きいものにしかありませんでした。
実験するうちに、ついついパクパク食べそうになってしまい、「ひとり5粒にしておこう」と、サクマーさんと声をかけ合いました。ぎんなんといえば、食べ過ぎにより嘔吐や貧血を起こす、ぎんなん中毒で有名です。食中毒などの情報に詳しい、東京都保険医療局の「食品衛生の窓」にも載っていますが、これはギンコトキシンという神経毒によるものです。ギンコトキシンは、ビタミンB6と構造的に似ているため、ビタミンB6の活性化を阻害してしまい、結果、嘔吐や貧血、痙攣など中毒症状を引き起こすのです。
ギンコトキシンの毒は、ビタミンB6のサプリメントを摂取することによって緩和できると書いてありました。
こんなわけで「住宅密集地やマンションに暮らす人でも、拾ったぎんなんを食える!」「ワークショップ、イケる!」ということが見事に証明されたのですが、今年は、みなさんと採集からやることが叶いませんでした。来年は満を辞して、フルコースでリベンジマッチをしようと思いますので、一年後、またぜひご参加ください。
やっつけガリ勉レポート
さて、このあとはガリ勉をしてきたことを、とっ散らかったまま少し付け足します。
まずはイチョウの生態から調べました。イチョウは雌雄異株、つまり雄の木と雌の木があります。見分け方は、葉が深く割れてるほうがメスだとか、ツリー型がオスで垂れ下がっているのがメスだとか、諸説ありますが、決め手にかけるようです。昨今は、実(み)の臭気を嫌って、街路樹は果実の成らないオスばかりになっているそうです。
平瀬作五郎
そして、イチョウはシダなどと同じように精子が水分の中を泳いで受精する植物――つまり、精子植物なのだそうです。1896年9月9日に東京大学の前身である帝国大学の製図技師である平瀬作五郎という人が、植物園のメスの木の種子から泳いでいる精子を初めて発見、観察しそれを証明したそうです(そしてなぜか同年、池野成一郎という学者がソテツで同様の発見、観察をしたということです。平瀬作五郎は、朝ドラ「らんまん(110話・オーギョーチ)」にも「野宮さん」として登場したんですね? 私は朝ドラを、というかテレビをまったく観ないので、観たことのある人、…製図技師だった彼が「そのものの本質を知らずして、いいスケッチは描けない」と思い立ち研究者になった、という話でしたっけ?その話、いいなアと思いました。オンデマンドで観れます。
下記のURLでは、イチョウの受精の様子の動画が見ることができます。顕微鏡の世界は、望遠鏡で見る星の世界を見るのと同様、美しいなあと心が震えるばかりで、きちんと理解することができない私ですが。センス・オブ・ワンダー。
生きる化石
さてと、わたしにとっては最大の驚きだったのですが、イチョウが、ペルム紀…つまりシーラカンスと同時期に誕生し、同じように「生きる化石」と呼ばれていることや、白亜紀生まれのティラノサウルスの大先輩だということ。みなさんはご存知ですか?
ファンタジーの世界ですが、コナンドイルの「The lost world 失われた世界」にもイチョウの木が、迷い込んだ奥地の古生代さながらの風景の一部として描かれているそうです。読んだはずの私がぜんぜん覚えていないのは登場させる意味がわからなかったから印象に残ってないからですね。
最古の葉の化石
イチョウの木は、イチョウ目イチョウ科イチョウ属の裸子植物の中で唯一生きている代表的な樹木で、その最古の葉の化石は2億7,000万年前のペルム紀のものです。このイチョウの誕生が確認されているペルム紀には史上最大の絶滅イベント「ペルム紀末の大量絶滅(地球上の生物の90~96%が死滅)」があったと言われていますが、それも生き延び、ジュラ紀中期には、種子散布者としての大型恐竜の助けを借りて、種が広範に運ばれ、種類も大幅に増加し、白亜紀(1億4400万年前)には、現在アジア、ヨーロッパ、北アメリカとして知られる地域で最大に多様になり、長い間、繁栄していました。
しかし、そこまで繁栄したものの、白亜紀末の地質学的激変――いわゆる恐竜が滅びたのと同じ理由…氷河期や巨大隕石の衝突、水位の上昇や凍土の拡大などさまざまな説明がされていますが、はっきりとこれ、とは決め手がないみたいーーによって、世界中のイチョウが絶滅しました。化石記録は、およそ700万年前、北アメリカとして知られる地域から、約250万年前にはヨーロッパとして知られる地域から、100万年前には日本として知られる地域から姿を消しています。
ちなみに、イチョウの化石でもっとも古いものは、南フランスのペルム紀前期、日本ではペルム紀後期の岐阜県金生山(きんしょうざん)から出土しています。
イチョウ 奇跡の2億年史
さて、今回、ガリ勉をするのに本当に役に立ったのは、この本「イチョウ 奇跡の2億年史」です。2014年刊行のこの本はプロローグで「イチョウの伝記を貫く主題はサバイバルだ。数々の試練に耐えて生き延びてできたこの本のサバイバル物語は、ほかの多くの植物の未来を照らす希望の光となるだろう」と書かれています。なるほど。
第二章「樹木とヒト」の冒頭には中国のことわざが書かれています。「木を植えるのに一番いい時期は20年前だが、つぎにいいのはいまだ」。…なるほど!
そして、この章は「イチョウには特別な歴史がある。過去のある時点でほとんど絶滅しかけていたときに、素晴らしい助け舟が出現するという特別な歴史だ。イチョウはヒトに救われた」と終わっています。
ヒトはどうやってイチョウを絶滅から助けたのでしょう。それは、失いたくない・一緒に暮らしたいという思いから保護し・育てることに違いないと思いますが、著者の言いたいポイントは「そうせよ」「それに倣え」という啓蒙的なことではなく、その動機なのです。ずばり「ヒトがイチョウを救った理由」だと思います。
その動機を大きく二つに分けるなら、ひとつは崇拝・畏敬・愛情といった感覚による保護やアートや文学など表現欲求による保護。もう一つは、食用・薬効・資材といった有用植物としての必要からくる保護、ということになるかな、と思います。思いつくまま例を挙げていくと、この二つはお互い切ってもきれない一つの感覚で分類・整理することなんてできないよな、と気づきました。ですので、思いつくまま、お話しすることで、みなさんが受けるさまざまな印象を聴いてみたいと思います。
白亜紀を生き延びたイチョウ
白亜紀末の地質学的激変によって、地球中のイチョウが滅びる中、唯一、生き残って自生していたのは、いまの中国の安徽省(あんきしょう・南西部)宣城(せんじょうし)市付近のイチョウでした(地図のピンの立っているあたりです)。その後、ヒトが暮らすようになって、悠久のときを体現するようなその姿(原始のヒト、スルドい!私はちっとも気がつかなかった)に畏敬の念を覚えて尊び、山中の僧院や宮殿、寺院の庭園などに植えるようになったのです。木の種類よりは樹齢が尊ばれました。1100年ころからは、仏教の僧が、食・薬効はじめ多くの有用性に気づいて、栽培するようにもなりました。
イチョウ、ふたたび世界へ
この種子が、日本や朝鮮半島へ12世紀ころ仏教の僧によって持ち込まれたというのが通説になっているようですが、諸説あり、ではっきりとはわかっていないようです。
ヨーロッパにイチョウが伝わったのは、18世紀の初めです。ドイツ人のエンゲルベルト・ケンプファーという人が1691年にイチョウを日本で“発見”(でた〜!植民する側目線ワード)、イチョウの種子を、数年後にヨーロッパに持ち込みました(その100年くらい後にはアメリカにも持ち込まれました)。以来、ヨーロッパ圏で植樹が始まり、現在は世界中で植えられています。
イチョウの種子を世界中に運ぶ役目が、かつての大型恐竜から、18世紀以降はショクミンチヤローに代わったというのが、なんとも言えないですね。
絶滅危惧種としてのイチョウ
こうして完全に、世界中に復活したかにみえるイチョウですが、じつは自生のイチョウはいまだ確認されていないそうです。1998年にはIUCN(International Union for Conservation of Nature国際自然保護連合)レッドリストで絶滅危惧(絶滅危惧Ⅱ類=野生での絶滅の可能性が高いもの)に指定されているのは、とても意外に感じます。
アール・ヌーヴォー
19世紀末には、当時を「ベル・エポック(良い時代)!」なんて呼んでイケてる都市の代表みたいな最盛期のパリで生まれ、ヨーロッパ中に広がった装飾や建築様式、アール・ヌーボー(ミュシャのポスターやルネ・ラリックの工芸が有名ですね)、では、流線型の図案化された植物が多用されていますが、江戸末期から流出した日本の浮世絵の影響、いわゆる「ジャポニズム」が大きなコンセプトになっていることもあってか、中でもイチョウは頻繁に登場するモチーフです。
「アールヌーボー イチョウ」と検索ワードを入れればたくさんのアクセサリーショップやアンティークショップのページがリストアップされます。下記のページはそのひとつです。「ああ、こういうヤツね」と参考になれば。
ギルバート&ジョージのHOODED
時代がジャンプしますが、つい一昨年(2021年)に東京銀座のルイ・ヴィトン最上階のギャラリーで、、ギルバート&ジョージの個展がありました。1960年代終盤、まだロンドンのアートスクールの学生だったころ、鋳物のような色に塗った肌に決まってスーツ姿の自らを彫刻と称したパフォーマンス「living sculpture生きる彫刻」を発表しました。専攻していのは彫刻だったというのが猛烈に面白いです。1980年代以降は、ステンドグラスのような(ステンドグラスではない)壁画サイズのフォトモンタージュ作品をつぎつぎ発表していて、そのシリーズの最初(ホントかな?)の大作である1986年制作のClass War(階級闘争)・Militant(闘争家)・ Gateway(入り口)の三連作の展示でした。マスク装備でいそいそと出かけたのですが、どれを見ても徹底して、若者はじめ排除されたり不当に扱われる側に立ち、その惨めさや差異ではなく、もっぱらギラギラとしたひとかけらの遠慮もない生の輝きを示されていて、受け止めた私のほうは手放しな希望を感じました。
さて、この壁画級のフォトモンタージュのシリーズに、2015年のヴェネチア・ビエンナーレのために制作されたという(これもホントかな?)HOODEDというシリーズがあります。「パーカーのフードをかぶっている者の入場を許さない、排除する店(やそういう態度)」に対する一見、やんわりしているが痛烈なメッセージを込めた表現です。このシリーズでは、パーカーのフードを被っている若者とともに、必ずイチョウがあしらわれています。なぜイチョウ?…ということについては、下記のURLにあるインタビュー映像の冒頭でユーモアたっぷりに語っていますので、ご興味あるひとはぜひチェックしてみてください。
ちなみに会場だった東京銀座はルイ・ヴィトンの店、ドアマンが立っていてお客が近づけば恭しくドアを開け、お得意様なら名前を呼びかけるようなところですよね。私がいつも通りのみすぼらしい格好でヘラヘラと近づくと、ドアマンはにっこり笑って何もきかずに「ギャラリーでございますね。4階でございます」とエレベーターの方向を示しました。速やかに移動して欲しかったのでしょう。まさしくHOODEDネタになりそうな状況がなんだか愉快でした。
ゲーテ、サプリメント
こう考えると、欧米では、なぜか実(み)――ギンナンは注目されず、もっぱら注目されるのは葉っぱのようですね。
Ginkgo Biloba 銀杏の葉
Dieses Baums Blatt, der von Osten
Meinem Garten anvertraut,
Giebt geheimen Sinn zu kosten,
Wie’s den Wissenden erbaut,
東洋からはるばると わたしの庭にうつされたイチョウの葉は
賢い者のこころをよろこばせる 深い意味をもっている。
Ist es Ein lebendig Wesen,
Das sich in sich selbst getrennt?
Sind es zwei, die sich erlesen,
Daß man sie als Eines kennt?
これは一枚だった葉が二つに分かれたのか?
それとも二枚の葉が互いにを見つけて ひとつになったのか?
Solche Frage zu erwidern,
Fand ich wohl den rechten Sinn,
Fühlst du nicht an meinen Liedern,
Daß ich Eins und doppelt bin?
このようなことを思っているうち
わたしはこの葉の本当の意味が分かったように思う。
あなたはわたしの歌を聴くたびにお感じになりませんか?
わたしが一枚でありながら
あなたと結ばれた二枚の葉であることを
このゲーテの有名な恋(か友情)の詩も葉っぱの切れ目から霊感を得た、という感じ。この詩のタイトル、付けられた学名も、Ginkgo biloba、二つに分かれた葉っぱ、という意味です。訳詩だけだとなんだか直球で捻りがないねえ、なんて感じますが、元の音で聞けばうっとりと味わえるのでしょうかね。
最近は、「認知症に良い」と薬効をうたったサプリメントがすっかり定着しましたが、あれも葉っぱですね。
乳根(逆さイチョウ)
さて、恐竜に変わって、仏教の僧やら、ヨーロッパの植民者やらが種子散布者となって、イチョウの木が世界中に帰ってふたたび広まったところから、遠く話が欧米から始まりましたが、身近なこのあたりのことに話を落としていこうと思います。
やはり、日本でも中国と同じように、畏敬の念や親しみからイチョウを大切に思ってきたようです。たくさんあり過ぎて偏っちゃっているかもしれませんが、思いつくままに。
乳根が生えてまるで木が逆さまに生えているように見える大木が、逆さイチョウと呼ばれています。これは、麻布の善福寺の逆さイチョウです。逆さイチョウは、全国にあり「高僧が地面に刺した生木のイチョウの杖が根付いた」というお話しが共通していますが、高僧が浄土真宗の開祖・親鸞さんだったり、日蓮宗の開祖・日蓮さんだったり(身延の上沢寺)、はたまた平安時代の真言宗の開祖・空海さんだったり(西本願寺。あれ?でも空海さんの時代にはまだ中国から日本にイチョウは来ていないはずでは?)、その土地土地、そこに建てられたお寺によって、時代も人も違います。ちなみに善福寺も、兄弟木の品川の光福寺の逆さイチョウも親鸞さんの杖によるもの、といまは伝わっています。
火吹きのイチョウ、火伏せのイチョウ
さて、西本願寺の逆さイチョウですが「水吹きイチョウ」とも呼ばれています。1788年の京都の街が中心部からみるみる延焼し街中が火の海と化した大火事、いわゆる天明の大火がありましたが、そのとき、西本願寺に逃れてきた人が「イチョウから水が噴き出て守ってくれた。おかげで命を救われた」という言い伝えからこう呼ばれるようになったと伝えられています。ちなみに本能寺のイチョウにも同じ伝承があり「火伏せのイチョウ」と呼ばれています。
イチョウは水分を多く含む植物です。水分の多い木が熱せられると、魚を焼くと表面に水分が浮いてくるのと同じように、葉の表面に水が浮いてくるそうです。おそらく、火事の熱で、葉に水分が浮き出て木全体が濡れた状態になったさまを見た人々が、わらにも縋る気持ちでイチョウの木の下に逃げ込んだ、ということは想像できます。
いまは、植樹としては、街路樹のイメージが強いイチョウですが、実際、神社やお寺や重要な公共施設に、意識的に防災樹としてイチョウは植えられてきました。
被爆イチョウ
2010年に、嵐で見事に倒れた鶴ヶ岡八幡宮の巨大イチョウのことも思い出しました。ダメもとで移植された場所で芽吹いた芽が元気に育ち、もう立派に木のていをしている、と聞きました。すごいなあ、と思います。
自然災害のことを言ったあとに、この話をすると、問題の根っこがあいまいになりそうで嫌なのですが、話の進行が下手なので仕方ありません。「自然災害と人災を一緒の問題にされるのは絶対イヤ!」と断った上で、「復興のシンボル」つながりで思い出してしまいました。6本の広島の被爆イチョウです。焼失を免がれ、いまも生きているイチョウです。イチョウに限らず、広島にはいわゆるこうした「被爆樹木(爆心地から二キロの範囲にある160本)」がたくさんあり「記憶・語り部」として保護されていますが、この春、このうちの一本であるシダレヤナギが、県の手違いで伐採されてしまった、というとほほなニュースも聞きました。
身近な存在
イチョウは畏敬を感じる一方で、とても身近に感じる暮らしの中の風景に根づいている木でもありますよね。
今日、これから食べるぎんなんは秋の味覚。ぎんなん拾いも多くの人にとって秋の風物詩だったようですし、昨今、なんだか、無性にめんどくさいことを求めているように思える、若者たちやわたしのようなシニアによって、これからまたあたりまえの風景になるのかもしれません。葉っぱは東京大学のシンボルマークですよね。平瀬さんの発見と関係あるのかないのか?東京都のシンボルマーク(1989年から。それまでは亀の子と呼ばれる発電所みたいなマークでした)もそうだと思いこんでいたのですが、これはtokyoの頭文字のTだというほうが定説だと知りました。うちの周りの大通りもイチョウばかりですが、枝が横に伸びないから日陰は作ってくれないんですよね。あとは、キモノの柄。俳句ではもちろん秋の季語だし、大相撲の幕内力士のまげは、大銀杏(おおいちょう)と呼ばれていますし。
いわゆる文学では、ちょっと調べてみたのですが、宮沢賢治が「いてふの実」という短編を書いていました。すでに青空文庫になっているのでリンクを貼っておきます。私はこの人の書いたものは嫌いじゃないのに、なぜか読むたびにいつも気がめいって沈んでしまうんですよね…。
かつて読み漁った内田百閒も、つげ義春的なシュールでホラーな小編「銀杏」を書いていました。それから、季語である以上、俳句も数限りなくありましたが、種田山頭火の自由律をひとつ、ご紹介。
お寺はしづかな ぎんなん拾ふ
名前の由来
ちなみに名前の由来ですが「イチョウ」という音は、宋の時代、中国で「鴨脚(発音:イッチョ)」と呼ばれていたことに由来。葉っぱのかたち、確かに似てますねえ、思いつかなかった。面白いです。
学名(=ヨーロッパ名)の「ginkgo」は「銀杏(音読みでgin・kyo)」のyをgとミススペルしたものが伝わったというのが一番有力な説のようです。
ワープロで「ぎんなん」と打っても「いちょう」と打っても「銀杏」と出るので、ここのところしょっちゅう戸惑っていました。それで気づいたのですが、私個人はなんとなく実のことを「ぎんなん」と呼び、木や葉のことを「いちょう」と呼んでいきたみたいです。日本語では「公孫樹」という字もあてられますね。
話をとっちらからせたまま、このあたりで、いい加減にして、煎り銀杏をめんどくさく食べるタイムに入りましょう。聴いてくれてありがとうございました。
★さらにイチョウの深みに入りたいかたは、究極のイチョウ愛に溢れた下記のページをチェックしてみてください。画像も豊富で博物館を訪ねた気分になること請け合いです!
The ginkgo pages