【オカルト朝活】実話怪談
おはようございます。『オカルトエンタメ大学』運営の小柳です。
さて今朝も昨晩の授業のアウトプットです。
「怪談」には2つの種類がある
①文芸的な怪談
・情景描写や心理描写などが含まれる
・オチがある、創作的な要素が強い
②ドキュメント的な心霊レポート
・霊現象のみを淡々と描写
・体験者の体験をそのまま伝える
・分かりやすいオチがない
・体験者の住所なども掲載されていた
・一見地味で、意味不明な話が多い
新耳袋の登場
・1990年刊行『新・耳・袋〜あなたの隣の怖い話〜』
・ドキュメント的な心霊レポートに近い内容
・この当時はあまり話題にならなかった
・この作品が近代実話怪談の元祖と言われている
様々な実話怪談本
・91年『あやかし通信―九夜でおくる怖い話 』
・91年~『「超」怖い話」』
・『新耳袋』同様、近代実話怪談の基礎を作った
実話怪談ブーム
・98年『現代百物語「新耳袋」』がシリーズとして刊行
・同時期のJホラーブームも関連し映像化も
・実話怪談という言葉が世間に認知されるようになる
新耳袋と実話怪談
・ドキュメント的怪談だった『新耳袋』の中で文芸的要素が入り込んだ回がある(諸説あるが『第四夜』?)
・「地味でオチもなく展開的に意味不明だがそれがリアルで怖い」という実話怪談の中に、「怖ければなんでも良い」という文芸的怪談や超常現象・ホラー好きが入り込む事になる
・これにより実話怪談の持つ意味が徐々に崩れていく
実話怪談の”実話”の意味?
・「本当にあった話」ではなく雑誌「週刊実話」的な実話
・実話と銘打ちながらも創作要素のある怪談が。例えば「未知の生物に刺され爆発して死んだ人間がいる」という話。そんな事故が起きたのにも関わらずマスコミも警察も取り上げてない。
・実話という言葉はある種のブランドであり、リアリティの担保に
・実話という言葉を使った方が本やDVDが売れるため
・本来の意味での「実話」は徐々に崩れ、実話という言葉だけが一人歩きするようになった。
現在の実話怪談とこれからの怪談
・実話の中で、「リアル」と「文芸」に枝分かれしており多種多様
・実話と文芸でまた分けるべきでは?
・『リング』など力のある創作は実話を超える
・実話の持つ意味をそれぞれ考えなくてはならない
授業を通して感じた事
「新耳袋」初巻のあとがきで「祟りや因縁にまつわる話は極力除外」と記されていた事を思い出しました。
取材した事実を短文の中で淡々と書くそのスタイルは、物語としては地味で、かつ明確なオチがないから未完成のように感じる。でも『新耳袋』は実話なので、霊現象の意味や理由を描く事が出来ないし、ドラマチックな展開やオチを設ける事が出来ない。
そんな 曖昧模糊とした内容が、逆に怖くて不気味でリアルでした。以降、このスタイルが他の書籍にも踏襲され実話怪談ブームが起きていくわけです。
私にとっての実話怪談とは「嘘か?本当か?」というよりも、あくまで「表現方法」の一つであると考えています。
逆に文芸怪談でも、本当にあった話を「文芸的な表現」で書いた可能性もあるのではないでしょうか?
なので、心霊モノの書籍やDVDによくある『実話』や『ほんにあった~』などのタイトルを見て「これは本当にある話なのか・・・!!」と思った事はほぼありません。これは皆さんもそうかと思います。
しかしです。この世の中には本当の意味で「本当にあった怖い話」「実話怪談」があると思うのです。
残念ながら私は霊感がないので体験をした事がありません。
ですが、世にごまんとある恐怖体験が全て嘘であり創作であり妄想であるとは思えないのです。いえ、思いたくないのです。
私のオカルトに対する気持ちは「この世界の向こうの側に別の何かがあるはず」という希望です。それが明らかにならないからこそオカルトはずっと面白い。謎の正体を求めつつも明らかになってほしくないという矛盾がそこにはあるのです。
この世界の向こう側を担保するためにも本当の実話怪談は必要不可欠であり、全てが作りモノだなんて思っていませんし思いたくない自分がいる事をこの授業を通じて強く感じました。
幽霊やオカルトなんてない!という事が100%証明されてしまった世界には私は何の価値も希望も感じる事が出来ません・・・。
以上。
今夜19時からの授業テーマは「都市伝説」です。
教室でお待ちしています。
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今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。
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