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【オカルト朝活】稲川淳二さん

おはようございます。『オカルトエンタメ大学』運営の小柳です。

長い梅雨も終わり、これから本格的な夏ですね。そんな中、我が校では昨晩無事に初授業を迎える事が出来ました。

すでに受講頂いた方ありがとうございました。
また、まだ受講されていない方、是非宜しくお願い致します。新しい発見や気付きがあると思います。

さて。今日から授業の翌朝は、学んだ事を血肉にするためこのnoteに自分なりのアウトプットをしていこうと思います。皆さんも復習のために宜しければご覧ください。


リアクション芸人だった稲川さん

・かつての稲川さんは現在の出川哲朗さん、上島竜兵さんのような存在。
・熱湯風呂に入り「熱いな~嫌だな~」と言っていた。

稲川怪談の特徴(3つ)

①自分でリアクターを兼ねる
・本来の怪談は「語る人」と「怖がる人」が必要
・稲川さんの怪談ではそのどちらも取り入れていた
 →「いやだな~」「怖いな~」など
・これはリアクション芸人の稲川さんだからこそ出来た技術
・一人で話者とリアクターを兼ねた怪談のスタイルはその後の基本形に

②異様なほど早口
・聞き取りにくい、まくしたてるような話し方
・実はこれ、稲川さんの戦略
・聞き取りにくいからこそ、ついつい集中して聞いてしまう
・怪談以外の番組では稲川さんは非常に滑らかで聞き取りやすい

③大ネタの存在
・稲川さんの代表的な長編怪談『生き人形』
・とある人形の呪いに稲川さんとその周囲の人々が巻き込まれていく実話
・数十年前から始まり、現在進行形で今も続いている
・「怪談」=「終わった話」ではなく、リアルタイムで進んでいる恐怖をライブなどで都度お客さんと共有する事で従来にはない身近でリアルな恐怖を感じさせた。

稲川怪談の新しさ

・講談や落語のような古典的怪談とは別物だった
・現代的で身近な恐怖体験を語る事でリアリティを生んだ
・また、話芸としての技術も売りにしなかった
・稲川さんの名言に「怪談は練習しない」がある
 →居酒屋で友人同士が語り合う時のようなリアリティ
 →プロっぽさを敢えて見せない事で、身近でリアルな恐怖を演出

稲川さんの起こした革命

①1993年開始「ミステリーナイトツアー」(怪談ツアー)
・今でこそ沢山の怪談イベントがあるがその走り
・この当時、怪談のイベント、しかもツアーなんてなかった
・それぞれの地域でご当地ネタを挟み会場を沸かせた

②心霊タレントというジャンルを生んだ
・怖い話を専門で話すタレントというジャンルを作ったのが稲川さん
・今は沢山いるがこの当時、そんな人は存在しなかった
・稲川さん自身が自分の強みを客観的に見てそれを押し出した結果

稲川さんから学べる事

・成功するまでやり続ける事
・その当時存在しなかった心霊タレントという分野を切り拓いた
・怪談のスタイルも革新し、怪談文化も作ってしまった
・長年、コツコツと怪談をやり続けた事で今がある


授業を通して感じた事

四谷怪談や講談のように格式は高いものの、古典的でどこか古めかしかった怪談のイメージをガラッと変えて、現代的なものにアップデートしたのが稲川さんだと思います。

80年代に漫才ブームが起きてしゃべくり漫才が主流になった時、それまでの演芸的な漫才とは違い、そこら辺にいる人達が友人同士でするような会話の延長をネタにして笑いを作り、漫才は若者の間で大流行。一つの文化となりました。

また、ダウンダウンの漫才のように、喋くり漫才とは真逆のローテンポかつ正攻法でない敢えてズラしたボケ(その時の主流だった喋くり漫才も本当は出来る)をする事でそれまでにない笑いを生みました。

稲川さんはそれらと同じ、怪談の革命児であり、稲川以前以後で怪談の歴史は大きく変わってしまったという事なんだと思います。

松本人志さんの登場でお笑いのルールが変わり、松本さんが作った笑いの中で生きる以降の芸人さんのように、稲川さんの作った怪談のスタイルに今の怪談師や都市伝説テラーがいるのではないでしょうか。

怪談中に自ら怖がるリアクションを入れる、身近な恐怖話をする、怖い話を語るタレント、怖い話専門の番組、怖い話のイベント。

こういった今では当たり前の基礎を作ったのが稲川さんなのでしょう。

それまでにない常識を作る事。それを諦めずに続ける事。

先行きの分からない現在を生きていくヒントは稲川さんにあると思います。これからも稲川さんを分析し、学び、そして稲川さんの怪談を追い続けたいと思います。

以上。


今夜19時からの授業テーマは「実話怪談」です。
教室でお待ちしています。

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