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【オカルト朝活】都市伝説と怪談の違い

おはようございます。『オカルトエンタメ大学』運営の小柳です。

完全に梅雨が明けましたね。オカルトにとっては最高の季節がやってきました。

今夜8時57分の『マツコの知らない世界』に山口敏太郎先生が出演されるそうです。何やら終末予言の闇について色々語られるそうな。是非見ましょう!


さて今朝も、昨日の授業の復習を兼ねたアウトプットになります。テーマは『都市伝説』でした。


代表的な都市伝説

・有名な「ベッドの下の包丁男」
・実は1000年以上前の伝承に似たような話がある
・それ以外には「リカちゃんからの電話」
・類似ネタで「メリーさんからの電話」も

都市伝説と実話怪談の違い

・実話怪談は体験者の名前や時期、場所が明確
・都市伝説は「友達の友達」の話
→出どころが不明瞭
→怪談と違い形を変えて時代や国境を超えていく
→音速ババアが光速ババアになったりなど

都市伝説の成り立ち

・「噂話」という分野が民俗学にあった
・元は地方ごとの集落で語られていた伝承など
・近代になると地方という共同体が崩れ都市部に人が流れるようになる
・都市部で噂話が語られていく事に
・これを都市民俗学、都市民話と呼んだ
・また、学校という共同体の中で語られた噂は「学校の怪談」と呼ばれた
・これらがその後、都市伝説という言葉になる


メディアと都市伝説

・1995年のオウム事件以降、マスメディアからオカルトが激減
・真実か否かが明確ではないオカルトや心霊はコンプライアンス上の理由から避けられるように
・そこで登場したのが都市伝説
・「あくまでも噂話」という前提の都市伝説
・コンプライアンスをクリアしやすかった
・都市伝説という言葉も響きもよかった
・「USO!?ジャパン」「やりすぎ都市伝説」
→この2番組によって都市伝説がメジャーに 
・「信じるか信じないかはあなた次第」
→ロバートリプリーという米国の作家が元ネタ 
・テレビの中でオカルトを繋いでくれた存在が都市伝説

都市伝説の問題点

・オカルトの1分野だった都市伝説がその他のあらゆるオカルトジャンル全てを内包してしまった
・都市伝説はあくまで噂話でありほぼ嘘
・フェイクニュース(都市伝説)を真実だと勘違いしてしまう問題も
・情報の信憑性を疑い調べ考える力が必要
・コロナに関するエビデンスのない噂話を信じれば命にかかわる
・都市伝説の楽しみ方は事実か否か?の追求ではなく、時代や地域によって形が変化する変遷や過程を見ていく事

授業を通して感じた事

怪談や心霊・オカルトなどと比べて、都市伝説は怖い物好きやマニア以外の視聴者も参入しやすいジャンルだったと思います。

「怖い」が入り口だと、どうしても敷居が高くなる。一方で都市伝説は「怖い」よりも「興味深い」や「隠された何かを知れる」という好奇心が入り口にあるのではないでしょうか。

もちろんオカルトこそが好奇心の権化だと思いますが、いつからかオカルトという言葉は、どこか危険でどこか古臭くどこか嘘っぽい。そんなイメージに変わっていったような気がします。

それは授業にもあったオウム事件の影響なのか?はたまた99年のノストラダムスで「オカルトなんて嘘に決まっている」という前提が作られてしまったからなのか?人によって違いがあるので一概には言えません。

しかし確かな事は、都市伝説という言葉にはどこかスタイリッシュなイメージがありました。そして「噂話」という人間が大好きな根っこがベースにあった。90年代末以降、都市伝説という言葉がオカルトや心霊を飲み込み、スターダムに躍り出たわけです。

これにより、(オカルトという言葉ではないが)オカルト的なものに、それまでいなかった一般層や若い層が入り込み、怪異現象を楽しむ素地が作られたと思います。これは本当にありがたい事です。

都市伝説の流行が無ければオカルトは今より地下に落とされ、よりアングラでマニアックなものになっていたかもしれません。

もちろん、全部のオカルトジャンルを都市伝説として扱われる状況は若干の違和感を感じますが。それでもオカルトという文化を残してくれた都市伝説には感謝しかありません。


最後に。

我が校は、オカルトをエンターテインメントとして楽しむ事を主眼に置いております。それは好奇心です。

オカルトには本来、「隠されたもの」や「神秘的」と言った意味があります。知らない事を知ろうとする好奇心、知った時の快感。これらの感情こそがオカルトであり、それは人生において最もエンターテインメントな瞬間であると考えています。

都市伝説の根幹にある「噂話」も、元は人間の好奇心からくるものではないでしょうか?

ですが、このような好奇心は当然ネガティブに触れる場合もあります。

危険や恐怖を煽るだけの終末思想、陰惨な事件性の強い都市伝説、特定の誰かや団体を陥れるような陰謀論、根拠のない噂話から来る差別やネットリンチ、フェイクニュース。

これらは信憑性もエビデンスもないにも関わらず人々の間で広まっていきます。好奇心の負の側面です。

オカルトに関わらず全てのものは、それをどう扱うか?によって変わってくると思います。

好奇心がなければ、ここまで科学は発達しなかったでしょう。車やクーラーやスマホなどは人間の「もっと便利になりたい」という好奇心の延長にあると思います。

ですが車やクーラーは二酸化炭素を増やしたという側面もあります。またスマホはスマホ依存症やSNSでのイジメも生みました。

山は雄大な自然であり人々の営みにとって必要不可欠ですが、遭難すれば大変な目にも合います。

どんな物事にも二つの面があり、それをどう扱うか?どう捉えるのか?はその人次第だと思うのです。好奇心の持つ力は強く誤った方向に使われればあっという間に負の要素にその力が動きやすい。

オカルトを楽しむには、好奇心の力をどう使うのか?が非常に試されます。それは情報収集力であり教養力であり思考量であり、優しさと明るさです。


都市伝説は陰惨さではなく変遷の過程を。終末思想は絶望や恐怖ではなく「また来たか」というマンネリを楽しむ余裕を。

私はこの大学で、オカルト自体を学びつつもその裏にある背景や歴史、変遷、そこに見え隠れする人間の考え方、人類学の面なども学んでいきたいと思います。オカルトを本当の意味で楽しむには、必要不可欠なのかもしれません。

以上。改めて復習したい方は是非。

今夜19時からの授業テーマは「怪談師」です。
教室でお待ちしています。

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今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。

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