見出し画像

『わたしが小島監督作品に救われた話』

これはわたしのこれまでと、いまのお話です。

わたしは小学3年生から中学生まで、約6年間不登校でした。

今になってみると、理由は勉強の遅れだったり、人との関係だったり…学校の仕組みに馴染めなかったからでしょうか。

支援施設に通いながらも、特に何にも興味が持てず勉強もしないまま、どんどん日々は過ぎていって。そんな毎日の唯一の楽しみが『ゲーム』でした。

当時はマリオ、ポケモン、カービィなど…

そして中学生のある時、一本のゲームと出会います。それが『METAL GEAR SOLID 3 SNAKE EATER 3D』(2012 3DS版)でした。

選んだ理由は“なんかかっこいいから”!

はじめての大人向けのゲームに戸惑いながらも、出てくるキャラクターに憧れ、物語の展開に息を呑み、瞬く間にこの作品の虜になっていました。

そして、わたしの中に『この単語はどういう意味なんだろう?』『核って何?戦争って何?』というたくさんの疑問と、“こんなに広い世界があるんだ!もっと知るためには勉強しなきゃ!”という強い気持ちが生まれます。

その頃から『知識を得ることの面白さ』が分かるようになって、少しずつ勉強を始め、通信制ですが高校にも進学することができました。

この体験がなかったらどうなっていたのか、今のわたしには分かりません。

ただそれは確実に“わたしの人生を変え、わたしを形作る貴重な経験”だったように思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

そして時は経ち、わたしが専門学校に通っていた時のことです。

いろんな出来事が重なって、卒業間近のタイミングでわたしは鬱 (うつ)になってしまいました。

就職も諦め、誰も信じられなくなって、もう死んでしまおうかと何度も何度も考えていた時、見えていたひとつの光が小島監督の最新作『DEATH STRANDING』でした。

この頃はまだ発売日も明かされておらず、ヒッグスが初登場した辺り…

この作品を遊ぶまでは死ねない”と自分に言い聞かせ、残りの学生生活を終えるまで、必死で生き抜きました。
まさにわたしをこの世界に繋いでくれたのは、DEATH STRANDINGだったのです。

そこからもっと『コジプロファンの人と繋がりたい!』とTwitterをはじめてから、たくさんの人と繋がり、イラストも見ていただいて、憧れの小島監督からのフォローまで…夢のような体験で、今でも夢なんじゃないかと疑っています。

昔の自分を変えてくれたのも、あの日のわたしを救ってくれたのも、小島監督をはじめ、新旧コジプロのみなさまの作品たちで、本当に感謝してもしきれません。

今のわたしには誇れるような肩書きもなにもありませんが、また新しい作品を遊べる日を夢見て。また新しい今日を生きています。

“待つ”ということは 未来を生きることなんだ』- サム (DEATH STRANDINGより)

おからねこ