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明けましておめでとうございます。

昨年中読んでいただいた方々、ありがとうございました。

双極症のコントロールの難しさを感じた年末年始となりました。

発端は茨木市で働いていた福祉事業所の給料が突然不払いになったことが大きかったかな。私の生活を大きく支えている仕事だったので11月から明細が突然届かなくなり下旬からバタバタしました。
雇用状態で届ける場所が違うので担当者に連絡したところわからないから代表と相談します。とのことで、福祉事業のなかでもかなり酷い場ではありましたが、契約について管理者がわかっていないとはなかなかのブラック。

そして冬になり居場所を作ろうと5月に引っ越した一軒家(2階建)の管理が大変で振り替えると軽装状態だったんだなぁとわかりました。
私の場合はかなり軽躁期間が長く、30代の頃に不死身になり食事も眠ることも必要のない不死身になった経験から激鬱期間に突入し陰性症状に苦しみ1年自宅療養期間となりました。
再度この状態になるったら破滅すると感じ肝に命じ気をつけながら職業訓練を使いヘルパー2級を取得し一般企業から福祉業界へ大転職しました。
そこからはまぁまぁ順調に生活し、介護福祉士取得、しかし入社した知的障がい事業者では当時高齢者はおらず何か障がいに対してニーズのある資格と考えた結果、精神保健福祉士取得を目指し働きながら通信大学に入学しました。振り替えるとほんとにいいタイミングで大学に行ったなぁと思います。
大学2年目は精神科病院の看護助手しながら実習に行き無事大学を卒業しました。

福祉制度や資源は何もかも不十分ですが、高齢者はみんなの問題なので国は取り組む。知的障がい者は幼い頃に診断されることが多く親のネットワークが強い。
しかし中途障がいの精神疾患は?
最近は低年齢化し高校生までもが苦しんでいます。私の頃は破瓜型でも20前後と言われていたのに…
そしてまさか自分が、まさか家族がとその状況でほとんどの家族の情報は皆無でしょう。

そんな中、精神の方々に関わることに興味をもちました。
双極症の私のように精神障がい者とラベリングされた人々の話を聴きたいなぁと。池田市の地域か集う支援センターに就職しました。
利用されている方々との出会いはとても良い出会いでした。
90%以上が精神保健福祉士の資格を持つ事業所でオープンで働き始めましたが、現場は酷い状態でした。働かない職員の代わりに働く利用されている方々。かたや働く職員のバーンアウトや体調不良を見てしまいました。
一日中LINEをしている職員。
プログラムも事務もしないチームに入り私もバーンアウトしました。
4年所属しましたが退職を決めた2年近く前から上司と話し合ってきました。

私が納得できる理由があればそこから考え直します。しかしなければ変えなければいけないことではないでしょうか?と。
指導できない上司が沢山の問題に対してすぐに変わることは少ないことはわかっています。いくつも提案するなかで、その中でも鍵保有者問題は直ぐに解決できることでした。
チームの責任者と所属の長い職員が鍵を引き継ぎます。複数の事業所の拠点となっている施設の火曜日だけ私たちが鍵を開ける必要があります。4のチーム職員の2人は毎日遅刻をする。その為利用されている方々は夏の暑い日も冬の寒い日も当たり前のように外で待っています。そして私も巻き込み遅刻。とはいえべつに給料から引かれるわけでもなく査定がされるわけでもないので毎日遅刻しても良いらしい。
一般企業で働いていたのですごく不思議でした。
鍵保持者が退職しまた次の職員に引き継がれました。
彼女は火曜日早く行ってもどうせ来てないし。と言っていたものの前者を引き継ぎ酷いときは30分も来ない…
まぁ、普段から遅刻する人間が前者のことを言い訳にしていたが毎日遅刻するし責任者の指導もないのだからこうなるのでしょう。

そこで、私ではなく私の次に入った方へ鍵を引き継いで欲しい。彼女は遅刻をすることのない人だったので。私にとっては私が引き継がず、一番新しい職員へ渡すことは遅刻職員への配慮でもありました。それらも責任者に説明したのですが、変わらず巻き込み遅刻は続きました。

わかりました。と言うからには責任者であれば何らかの自覚を持ち行動をして欲しかった。
なにも変わらず良く働く職員はバーンアウトしました。その後私も。
精神科病院の権利擁護については酷いものがありますが、地域福祉の権利擁護も酷い。
地域にいながらも入院したいと様々な形でアプローチし入院する人々にとって地域や施設の環境は精神科病院より酷いのでしょう。

そんなことを考えた悩みながらなんとか地域福祉にしがみついてきましたが、
見通しが真っ暗で何から片付けていくのか、何を選択するのか怖くて怖くて年末動けなくなりながらも色んな方へ相談しました。
とりあえず、茨木市の不払いについては12月解雇でと後日連絡が来たのでコロナ給付金申請を始めました。
そして居場所も撤収する予定です。

精神、ひきこもりの居場所活動をされている他市へ話を聞きに良く行きましたが、自分で調べても豊中市の活動が出てこなかった為ロールモデルを知りたいと、市役所、保健所、社協へ、問い合わせました。
市役所の障がい福祉課はパソコンでも調べてくれましたが、子供はでてきますが、でてきませんね。私たちも把握していません。

保健所、社協もわからないとのことで、これはどうにもならないと居場所づくりは撤収する方向に考え始めました。

違った方法でできないかと。
去年出会いを作ってくださった先生。大阪大学人間科学部の授業に参加させていただくことになり、そこで出会った方々とせっかく繋がったので何かできないかと考え始めています。
私の見通しが不透明ですが、取りあえずは授業には参加したいと思っています。

どうなるんだろう。私の波も今の不安定な経済状況も…
大阪府庁のいのちの電話もあのような対応ならなんの役にも立たない事務的でした。関西いのち電話は繋がらない。
今の社会は自分だけが良ければいいと割りきって生きていくことが必要な社会なのでしょう。


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