Black bird
二十代の頃、京都のカフェで行われたインド音楽のライブに1人で行った時、隣のおじさまと、ふと会話をした。
京都の法然院の貫主の梶田真章氏だ
と知った。
その頃大好きだったMちゃんは梶田氏と知り合いだった。
Mちゃんは世界中をバックパックで旅し、行ったことのない国がないほどだった。
シタールを弾いていて、私を誘ってくれたのでよく家に入り浸っていた。
ガラムの煙が充満した部屋でビートルズを聴きまくり、彼の手料理を食べながらインドの話を聞いたり、シタールを聴かせてもらったりしていた。
髪はサラサラで長髪。
長身でスリム。
ピンク色のシャツを着て、
時々サングラスをしていた。
彼が大好きだったジョンレノンに似ていた。
彼の出演するライブに行ったり、その頃は携帯がなかったから、黒電話で夜中まで長電話したり。
卒業後、仕事を始めてからは殆ど会わずで、1回だけ私が企画したインド音楽のミニライブに全国巡回の一環で出演をお願いして演奏してもらったりと繋がってはいたけれど、
ちょっと一方的なワガママを言われて私が怒ってしまい、それからは疎遠になってしまった。
彼は地元の東京に戻り、しばらく音沙汰はなかった。
ふと、ライブとかしてんのかなぁとネットで検索したら、あるブログで彼が亡くなったことを知った。
何故亡くなったのかは分からない。
ガラムばっかり吸ってたからかなーとか
インドで病気したかなぁとか
リキシャーに轢かれたかなぁとか考えるけど、死因は分からない。
十数年間、いつもそのことが頭の中をグルグルして、彼は夢にまで登場する始末。
この前は野外スタジアム前の芝生で三角座りしてたよ。
20年以上前にした会話やら姿が、今でもそのまんまリアルに生きてる。
もうこの世には居ないんだなぁと
自転車をこぎながら、今でも朝から泣きそうになることもあるけど、本当は居ない気がしない。
梶田氏の話に戻るが
京都のライブで梶田氏に偶然会った話を彼に報告したら
「さわは外国に行かなくても、毎日旅をしてるね~」
と言ってくれた。
彼が死んでからかなり経つが、
ある日、ネットで遊んでいたら梶田氏が対談している記事を見つけた。
以下抜粋
梶田:私は、人間の場合、一度誰かに出会ってしまった以上、もしその方がお亡くなりになったとしても、その方のいのちがなくなるということはないと思っているんです。
小出:いのちがなくなることはない、ですか。
梶田:その方が生前に出会った誰かの中に、いのちが重なっていくと言いますか……。
小出:いのちが、重なる。
梶田:亡くなった方は、生きている方の中に重なって、いつだって一緒に生活している。亡くなった方のいのちは、常に、生きている方のいのちに直に重なるようにしてあらわれていると思うんです。これが事実なのかどうかはわかりませんけれど、私はそういう風に信じて生きています。