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正しさと閉塞感と、結局続かないの話

少し前、友達に配ってるZINEに『最近の世の中の閉塞感は正しさが軸になっているから』ではないかと書いたので、その話を少し。


さて、ここでみなさんに問いたいことがひとつ。
正しいことは良いことですか?それはもちろん「はい」だろう。

では、正しいこととは何ですか?
清廉潔白であることですか?それは善ですか?一言ではもちろん言えないでしょう。

では、もうひとつ問いたいことがあります。
正しさを決めるのは誰ですか?

今、世の中では、ズルさや歪みを許さない空気が満ちていると個人的には思っていて。それは色々なところで過敏で、過激な反応を生み出している。

インスタグラムなんかで投稿されている漫画の、ライバル役のちょっと意地悪な女の子に対する暴言。その女の子はあなたには何もしていないはず。でも、思い出された悔しさや憎らしさは、言葉をどんどん尖らせる。
昨今よくある不倫問題だって、誰の何を代弁する立場にもないはず。でも、倫理観をかざせば、それは容易く拳となる。
アーティストのお金についても、芸術と金を混同するなという人がいるけれど、商売でも、衝動でも、吐き出されたものに心を動かされたのなら、それでいいはずのに。

(もっと例を挙げたいけれど、それを言うと違う槍が飛んできそうなので、各自で想像してください。その頭に浮かんだことも間違ってないから。)

別に意見を言うのが悪いことではない。でも、その言葉は『ひとりぼっち』で相手と対峙しても言えるのか。
誰かが石を投げたからって、その中に紛れて言うのは、ズルさではないのだろうか。

清廉潔白であることを是とすると、ズルい人、間違えた人は否である。
では、その人達に尖った言葉を投げつけることは、何なのか。
子どもが幼稚園や学校で習う、チクチク言葉は何故使わないようにしましょうなのか。

『直接対峙しないことで、大きく振り上げられる拳なら下すべきだ』と、
『誰かを否だと、悪だと決めるなら、あなたも相手にとって同様である』と、私は思う。


と、話がだんだん長くなってきたので、例のZINEでの、締めくくりを。

自分の人生を振り返った時に、そういやこんな日々を送ってたなと思って。そう、まさに思春期に!と思うと腑に落ちるね。その敏感さや、潔癖さや、ある種のダブルスタンダードの許容や、他者を排除することや。
そうか、今まさに、世は総思春期時代。
大人(成熟した社会、目指すべき世界)になりたくて、なれなくて、なりたくなくて、
子ども(新しい社会、今まで慣れ親しんだ世界)でいたくて、いち早く抜け出したくて、離れがたくて、
そうやって、もがいてゴボゴボ言ってるんだなと思うと、日が差すような気分になる。いつか終わるから。

私には、こういう不寛容な時間が永遠に続くと思えない。人間って、思ったより忘れっぽいし、飽きっぽい。
同じ場所にい続けるにも、相当の忍耐がいるもの。
少なくとも、私は、こういうモヤモヤした思考の渦から、久しぶりに聴いた音楽でするっと抜けてしまった。
この文章だって、書いている途中に子どもがおやつの時間だと、バタバタと横を通り過ぎて行って、
最後まで眉間にしわを寄せて書ききることも出来なかった。

結局永遠に続くことはない。ならば、如何様にも動かせるはず。少なくとも私の人生の舵取りは、他人様に任せないように、責任を持ってラクチンな方へ進めたいと思う。

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