吉益東洞(よしますとうどう)

江戸時代に吉益東洞という漢方医がいました。

東洞は目に見えないものは一切、相手にしない、目で見ることのできないものは医の対象にならないと訴えて、それまでの既成概念、伝統を無視した理論を唱えていました。

この時代にこのようなことを言うというのはある意味天才で、要は今日の医学と同じように、実証できないものを否定したのです。

これにより、日本の医学が少し立ち止まって考える事になり、当時長崎から経由してもたらされたオランダ医学(蘭方)の移入が容易になったと考えられます。

東洞自体は師匠にはつかずに、独学で漢方を学んでいたとされています。東洞の長男、吉益南涯は逆に気は重要で、目に見えないものも重要であるという書物を書いています。東洞の理論をその後に継承した人物はいないとされています。

さて、漢方薬が初めて薬価収載されたのが1967年のことです。明治維新政府が漢方医学、日本の伝統的医学を抑圧していた影響がその頃まであったと考えます。

薬価収載されて50年、かなりの研究、進歩が起きています。西洋医学で全てが解決するわけではなく、東洋医学がそのスキマを補うような形で医学が進歩して、患者さんの悩みが少しでも楽になると良いですね。

東洞は他にも、人の命も目で見ることができないものなので医者の関係することではなくて、天の司るところであり、天命であると言っていたそうです。

これは確かに一理あります。今日、明日に危ないということは分かりますが、三ヵ月、半年、一年の単位で予後を正確に予測することは難しいです。

生存率のデータはありますが、それが目の前の人にも当てはまるかは分かりません。悪い方向に進めば予測より短いでしょうし、良い方向に進めば予測より長くなるという事です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?