僕の「名」は。

今日の午後は野暮用で車を走らせていた。走らせついでにスカイツリーと東京タワーを見てきた。なんとなく「負けないぞ」という気持ちを新たに、今帰ってきたところである。

帰り道に若干道に迷った。

あれは慶應病院の脇道だったか、「無名橋」という交差点と橋を通った。道幅が狭く後ろからもガンガン車(腹立つくらいの高級車)がきていたので、やむなくそのまま通過したが、道幅が広いか車が来ていないなら、ちょいと脇に停めて写真を撮りたいくらい、心奪われた。

「無名」という名がついた時点でもうそれは「有名」ではないのか。真の無名なものとは、そのものに名があるかすらふわふわしているような、そういう存在なのではないか。

そこへきて、奴ときたら堂々と「無名」を名乗っていたのである。こんなことが許されようかと言わんばかりに、何ものでもない、何ものにもなれなかった私は、ハンドルを握る手に力をこめてしまった。

誰にも言えなかった夢がある。いつも書けなかった夢がある。

子どもの頃、私は有名人になりたかった。(ウリナリとかその辺を見てた時分だったと思う。あの頃のテレビには夢があったと思うのは、私がおじさんになったからかな。)

進路面談でも卒業文集でも、なんとなく恥ずかしくて、親に気を遣って、「サラリーマン」とか「お父さんみたいな公務員」とか当たり障りのないことを書いた。

結果、無名ですらない、ただの人になった。私が明日いなくなっても世の中は普通に回っていくし、誰もそのことにすら気づかないだろう。

思えばそうなることに抗い続けた人生だと思う。もしかしたらシンガーソングライターの才能があるかもしれないと思い、ギターを手にしてみたり、小説家の才能があるかもしないと思い、小説(というかアレはライトノベルだな)をしたためて投稿してみたり、今これを読んでくださっているあなたは、おそらくラジオパーソナリティになれるかもと思って始めたポッドキャストを聴いてくださった方であろう。

どれも有名になれなかった、というか有名になるまでの努力をしなかった。天性のものが備わっていると信じて、「あぁこれじゃない」「違うな、これでもない」と何もかも中途半端で投げ出してきた。

歌ってみたとかの類が嫌いだ。駅前の路上ライブの類が嫌いだ。彼らを見た時に誰しも「無名の人が歌っている」と思うだろう。その時点で、すでに彼らは私にはない【「無名」という名を有している】人たちだ。だから私は彼らのことが嫌いなのだろう。

貴方にはどんな名があるだろうか。はたまた「無名」な人だろうか。そうですらないただの人に向けて、私はこれを書いている。

今に抗おうじゃないですか。せめて「無名」になろうじゃないですか。誰にも自分のいる意義を知られないまま、くたばってたまるかと思うのですよ、私は、

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