ねんど

職場の送別会の幹事をした。勤続45年の人を送り出した。われながらメモリアルなひとときを、そつなく演出できたと思う。

別れの挨拶を聞きながら、実は私は上の空だった。「自分は果たして定年をこの会社で迎えるだろうか、その時こんなふうに囲んでもらえるだろうか、」と。

同期が嫌いだ。後輩が苦手だ。なので必然的に付き合うのは先輩ばかりになっている。中高大と、いつだってそうだ。なので、自分がアガリになる時、親しくしていた人たちは、もう先に巣立っているという3月しか経験したことがない。誰かに囲まれて、惜別の時を過ごした経験がない。

明日から新年度なのだという。だから何がどうしたということもなく、同じ職場で、同じメンバーで、同じ仕事をするだけなのだが、なぜか今年はそれがとても恐ろしい。大きな流れの中に飲み込まれていく感じがするのだ。

もしもこの渦の中から外に逃げ出すのなら今なんじゃないか、今年なんじゃないか。そんな焦燥感をいただきながら、年度最終日の今日を終えようとしている。(ちなみに、ゴーストバスターズを見に行こうと思っていたが、うだうだと昼寝をするだけで一日終わるというクソみたいな過ごし方をしてしまった)

新年度、もしかしたらまたみなさまに、この場所を使って「声」を届けることを始めるかもしれない。もしかしたら、あの場所を使って「3つの声」を響かせることが始まるかもしれない。そんな何かが動き出したような音を遠くで聞いた。

新年度、娘がついに小学校に入学する。もしかしたら小学生になった娘が、ふと「父ちゃんちに泊まりに行く」とか言い始めてくれるかもしれない。もしかしたら父娘の交流が増えるかもしれない。そんな淡い期待を夢に見た。

新年度、転職活動を本格化させようと思っている。選考の結果次第では、もしかしたら安定を捨てて興味のある分野にトライするのか、二者択一の大きな決断を迫られる瞬間が来るかもしれない。そんな人生の転機の年にする覚悟だけはしている。

年度。始まる時、最中に居る時。それは総括しようのない不定形なものだと思う。(だから上半期総括とか中間報告とかの類には意味がないと思っているし、嫌いだし、苦手だ。)
年度なんてもんは終わってから、しばらく経ってから振り返ってから初めて形が固まっていて総括できるようになっているものだと、私は思う。
言葉遊びだが、年度なんて、すなわち粘土みたいなもんだ、と思う。

さようなら令和5年度、こんにちは令和6年度。

さて、明日からどんな粘土遊びをしようか。

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