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老残日誌(二十八)

牛丼のことなのに…

深夜、北京人の知り合いと電子メールでちょっとした仕事の打合わせなどをして、余白に「最近、老化して日々にはかなく、肉欲などなくなってしまった」と書いたら、折り返して返信がとどいた。知り合い曰く「谷崎潤一郎の小説や、D・H・ロレンス『チャタレー夫人の恋人』を読みなさい」と…。さすが、慶応大学に留学して経済学博士号を持ち、日本の大学で教壇に立ったこともある教養人なので、読むものがちがうわ。でも、「肉欲」と書いたのは、たまに奮発して外食で喰う吉野家の「牛丼並み盛」とか、新宿の大衆食堂酒場三平酒寮でかっ喰らう「焼肉定食」のことだったのですけどね。

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まあ、いいや、と思いなおし、「谷崎潤一郎は高校時代に耽読したので、金瓶梅などを真面目に読んでみよう」と返信してやった。さっそく本棚を漁ると、岩波文庫版と平凡社中国古典文学大系の『金瓶梅』が出てきた。中国語の原本もあったはずなのに、どこかに隠れてしまい、恥ずかしがって顔を見せない。そこで言語学的な角度から『金瓶梅』を専門に研究している大学時代の友人に電話して、いずれの版がよいだろうか、とたずねてみた。影印本や活字本があり、趣味で読むなら活字本のほうがわかりやすいので、中華書局か古籍出版のものがよい、ということになり、さっそく注文したのだ。

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明清の擬古文は、たとえば日本文学でいえば樋口一葉の小粋な文章のように適度に古典要素が入って簡潔で、表現に力があるので、現代中国語の読解や作文にも多いに役立ち、好きな言語領域である。知り合いが「肉欲」を読みちがえてくれたおかげで、今年は春から猥書の誉れ高い『金瓶梅』にとりくむことになった。『水滸伝』からスピンアウトした小説版なので、ついでに本家にも手を出してみよう。あれも、これもと余計な課題が増えてゆき、はかなくなりつつある老残には少々忙しすぎる春休みになるかもしれない。

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