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老残日誌(三十二)

古丈毛尖
午後、気分転換に古丈毛尖をいれる。大阪に棲む湖南省出身の友人が故郷の銘茶をコロナ見舞いに贈ってくれたものだ。古丈毛尖とはその名前が示すように、湖南武陵山区に位置する古丈県の茶畑で摘まれたものだろう。緑葉茶なので、それに相応しい茶器を出してみた。茶水は淡いグリーンで清香な味わいが馥郁とし、中国茶独特の抜けるような清々しさがある。ためしに地図でたどってみると、古丈県は張家界の西南山中に隣りあわせ、数年前に訪れた武陵山にほど近いところにあるらしいことがわかった。山間によく霧が発生する地勢なので、きっと良い茶葉が育つのだろう。

張家界

茶をいれることを、漢字では「淹れる」と書く。白川『字通』や『字統』などに依って字義を調べると、「久しく水に掩われることをいう」とある。これでは満足できないので、段玉裁注『説文解字』を引っぱり出し、つくりの「奄」をひく。第十篇下にその解釈があり、字形は「大」が「黽」(ぼう)に覆いかぶさる構造を成している。「大」は、「天大、地大、人亦大焉(天は大なり、地は大なり、人もまた大なり)」で、「黽」(ぼう)は カエルの種類を指す。派生語として「黽厄」(ぼうあい)がある。これは戦国の要塞の意味だ。つまり、大なる人が要塞を統治しているところから、この「奄」という字がつくられたころ、どこかの国の王が他国、あるいは自国の民草を支配している状態を示しているのだろう。漢字の字源にあたるときは、甲骨文字や金文にまで遡るとその意味を深く識ることができる。「甲骨」は中学や高校でもその意味くらいは習っているのでなんとなくわかるが、さて、金文とはいったいなんだろう。甲骨文字の引っ掻いたような原始象形に幾分か抽象を加え、より現代の漢字に近い優雅な姿になっている。時代的には殷周から秦漢にかけて製造された鐘や鼎など各種銅器の表面に刻された漢字のことで、「鐘鼎文」とも称される。

古丈毛尖

茶を「淹れる」の「淹」の字はこの「奄」に「氵」がついているので、水(茶)に関与した意味であることは明らかだ。振り出しに戻れば、茶葉をしばらく湯に浸した状態を表す言葉なのであろう。ふたたび白川『字通』の頁にもどると、「淹」の派生語に「淹雅」(学問が広く、人柄が良い=『晋書』何充伝)、「淹識」(ひろく識る、博学=『晋書』桓沖伝)、「淹通」(ひろくゆきわたる=文心彫龍、体性)などがあり、これらの説明からその語感を掌で掬ったように明確に感じとることができる。概ね良い意味に使われているので、気分を良くしてうっかり安直な『現代漢語詞典』などにまで手を伸ばしてしまうと、「淹死」(溺れ死ぬ)などという古丈毛尖の雅味には合わない言葉も出てくるので、要注意なのだ。

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