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老残日誌(三十七) いわゆる「革命」の継承


いわゆる「革命」の継承

中国共産党の文芸路線は、延安に何万年もの時間をかけて降り積もった黄土層の中から鬼胎として生まれてきた。「窰洞文学」とよばれるものである。毛沢東が「整風」と称した政治運動の中からひねり出した「文芸講話」がその基礎になっている。「文芸講話」の普及にお先棒を担いだのが山西省の農村に生まれた趙樹理で、その作風は「趙樹理方向」として中華人民共和国成立前後の文学を長く規定する。その趙樹理も役目を終えると反右派闘争で展開された狂気の政治運動のなかで批判され、文革で命さえも奪われてしまった。

滄洲の田舎町で書店をひやかしていたら、店頭に『紅岩』が『創業史』などとともに平積みになって売られているではないか。1970年以前の中国に暮らしたことのある者なら、たとえ外国人であっても一度は手にしたことのある本だろう。店員に聞いてみると、中高生の必読書に指定されているのだという。そんなバカな…、と思う。

人心も社会も変わってしまった中国で、まだこんなものが愛国教育の副教材として使われているなんて…。裏を返せば、これらに代わる中共の正統性をプロパガンダする作品が出てきていないのだ。中国社会で変わることが出来ないでいるのは、唯一、共産党だけであることの証左であろう。

滄洲は晋察冀辺区(山西、河北、遼寧、内モンゴルをまたぐ地域)における抗日根拠地の要衝である。町には朱徳らの革命第一世代を顕彰する詩壁やモニュメント、解放記念碑などが各所に散在している。

運河沿いの人民公園には革命スローガンが復活し、ラウド・スピーカーから革命歌曲が流れ、傍らでは市民たちがクネクネと奇妙な姿態で踊り、浮かれている。難しい時代になったものだ、と思う。中共のイデオロギーに打算で擦り寄る圧倒的に多くの国民、そして敢えて距離をおく者、あるいは無条件に信奉する追随者と、人民の意識は多様化している。

習近平はその第1期の執政で「反腐敗」という美名を弄して政敵の粛清に励んだ。過去からみる中共のセオリーにとおり、その次には「習近平思想」を人民に深く浸透させるための大掛かりな運動が進行中である。それが、為政者のめざす「革命」の継承だからだ。そして、それらは思想的に多様化した都市からではなく、どちらかといえばさまざまな意味において相対的にリテラシーの低い農村や地方の中小都市から発動される傾向が強い。

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