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浦賀日誌(三) 二〇一六年九月一日を忘却しないための記憶の標(しるべ)として

二〇一六年九月一日を忘却しないための記憶の標(しるべ)として

猫は、物陰に隠れ、じたばたせずにみずからの死を迎える。萬葉(まは)は、当時、猫類のあいだで流行っていた膵炎に襲われ、一カ月半くらい闘病して逝った。その間、電車に乗って何度も病院に通い、二週間ほど入院・加療したが、追いつかなかった。最後には家に連れ帰り、そのうちに腹水が溜まって、寝返りをうつこともできず、苦しそうだった。食欲も示さないので、獣医師にもらったゲル状の栄養剤をやったが、喰おうとはしなかった。数夜、そばに置いて見守る。九月一日の朝、目覚めると、姿が見えない。予感があった。すぐに洗面所へゆくと、そこの暗い小部屋で絶命していた。死後硬直が始まっていた。

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通夜を済ませ、和紙に包んで手製の棺に納め、市営の小動物火葬場まで運ぶ。小さな焼却炉の煙突から水蒸気のような細い煙が空に向かってたち昇った。あちら側へ旅立ったのだろう。帰り道、知り合いの小さな陶器店で、好きな読谷北窯を選んで藍の壺を買った。白く生まれ変わった万葉の骨片。ふたたび、和紙にくるみ、生前、瑪瑙と鈴で作ってやった首飾りと一緒に、丁寧におさめる。ここが、これからお前の家だよ、と語りかける。写真を撮りながら、思わず落涙する。

骨壷

毎年、命日には読谷の小さな骨壺に降り積もった埃をはらい、気に入っている写真機のボディとレンズで記念写真を撮る。

萬葉の」死

そっちはどうだい…、とたずねても、返事はない。
こっちはまあまあだよ、と問わず語りの近況報告をする。二〇一六年九月一日を忘却しないための記憶の標(しるべ)として😸・

X-E1+SIGMA 50mm 1:1.4 DG HSM+FUJIFILM X100

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