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浦賀日誌(二) ふたつの名橋

ふたつの名橋

御茶の水駅のふたつの出口を抜けると、西側は駿河台から本郷方面へ、東側は湯島の方角に神田川(外堀)を渡す二本の美麗な橋がある。御茶の水橋と聖橋だ。両橋とも高度のある天空に架かっているので、自然と川面に眼がゆき、その向こうに広がる水道橋や秋葉原の景色を無意識のうちにながめている。御茶の水橋を渡りきったところには丸の内線の入り口があり、線路はそこをすぎると一瞬だけ地上に出てふたたび中央線や総武線の線路をくぐり、淡路町に向かって消えてゆく。その地下鉄の入り口には若かったころの幾多の想い出がかさなり、あたりを歩いていると当時の情景が脳裏を去来し、胸の奥を針の先でツンと突かれるような気持ちになる。このあたりは、古来、神田川が深く峡谷を削った地形なので、橋とともに昌平坂とか明神坂など古くからの起伏が心地よく連鎖し、散策していて飽きることがない。橋が落成したのは明治二十三年十月十五日のことで、愛読する樋口一葉はその日記に次のように綴っている。

今宵は旧菊月十五日なり、空は、たゞみ渡す限り雲もなくて、くずの葉のうら、めづらしき夜なり。いでやお茶の水橋の開橋なりなめるを行きみんはなど国子にいざなわれて、母君もみてこなどの給うに家をば出ぬ。あぶみ坂登りはつる頃、月さしのぼりぬ。軒ばも、ただ霜の降りたる様にて、空はいまださむからず。袖にともなうぞおもしろし。行々て橋のほとりに出ぬ。するが台の、いとひくくみゆるもおかし。月遠じろく水を照らして行かう舟の火かげおかしく金波銀波こもごもよせてくだけては、まどかなるかげ、いとおかし。

すぐ下の妹にせがまれ、母親をともなって新しく竣工した鉄橋を見学に行った情景が眼に浮かぶようだ。橋上には路面電車がゴロゴロと行き交っていたのだろう。現在の御茶の水橋は昭和七年の五月に架け替えられたもので、夭折した一葉はその新しい姿を見ることはなかった。


駅を聖橋口で降りると、小さな改札口のすぐ左手に駿河台四丁目と湯島一丁目をつなぐ聖橋がある。神田川で隔てられた千代田区から文京区までを渡している。駿河台側には秋葉原方面に降りてゆく淡路坂が急なスロープをつくり、湯島側では、昌平坂がやはり秋葉原に向かってゆるやかにのびてゆく。淡路坂の名前の由来は、ここに鈴木淡路守の屋敷があったことによるらしい。淡路守の「淡路」は淡路島を本拠とした洲本藩を指し、同藩の江戸屋敷がここに所在したということだろう。いまは淡路町という名前で、地図の上にだけわずかに残っている。聖橋は本郷通りの一区間を形成し、湯島方面に渡ったところでふり返ると、そこに淡い緑色のドーム屋根が息をのむように美しいロシア正教のニコライ堂を遠望できる。ニコライ主教はここ以外にも、函館に聖ハリストス教会という優美な建築物を残した。美しさという点では、ニコライ堂は函館の聖ハリストス教会にかなわない。しかし付近の住民は毎夕打ち鳴らされたニコライ堂の鐘の音を好み、与謝野晶子と鐵幹(寛)夫妻はその鐘声に魅せられて駿河台に引っ越してきたと伝えられる。


聖橋は、なぜ「聖」という字が冠せられたのだろうか。それはきっと、聖ニコライ堂と湯島の聖堂をつなぐ神田川に架けられた橋だからなのだろう。ニコライ・カサートキンがロシア正教を広めるためにつくった東京復活大聖堂(ニコライ堂)から湯島聖堂を結ぶ神田川に架けられたのが聖橋(ひじりばし)ということになる。聖堂の屋根瓦とニコライ堂のドーム屋根がおなじ緑の色彩でふかれたのは偶然の一致なのだろうか。御茶の水界隈には、東西宗教の濃厚な空気が流れている。

聖堂というなんとなく西洋っぽい名称に戸惑うが、これは紛れもない孔子廟であろう。ここを訪れると、近代以前の日本において、孔子は聖人であったことがよく理解できる。本家では、「文廟」という名称が一般的だ。江戸の国学者、林羅山がつくった先聖殿に由来し、その後、孔子が生まれた山東の昌平村にちなんで昌平坂学問所となった。東京大学や筑波大学、御茶の水女子大学の源流でもある。聖堂前を秋葉原方面に下っているのは昌平坂で、ゆるやかな勾配は、歩いていて楽しい。聖橋の南詰にはかつて日立製作所の本社ビルが屹立し、その坂下には「サーモピレー」という名前の紅茶専門店があった。まだ茶の味などわからなかった若いころ、歴代の女ともだちを連れてよく訪れた。この名前は、英国の船会社が十九世紀央に建造した高速外洋帆船にその源流がある。きっとイギリス東インド会社が買い付けた紅茶をアフターヌーンティーに供するため、インド洋の波濤を越えて英国本土まで運んだ船にちがいない。いま日立製作所の本社は丸の内に移転し、お洒落だったサーモピレーもどこかに消えてしまった。旧日立本社ビルは二〇一三年に建て替えられて、御茶ノ水ソラシティに生まれ変わった。丸の内や新宿などではなく駿河台の高見に本社機構を置いていた日立製作所に、若かったころはサーモピレーに感じたのとおなじような洒脱なイメージを抱いていたのだ。

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