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青春プレイバック(二)

北京語言学院初雪景色

一九七八年の終わり、北京語言学院に入学して、初めての雪が降った。岡部は、カメラを持ち出している。小嶺は、もう二十年以上も前に肝臓がんを得て、疾風のように去っていった。鈴木は、十五~ 十六年前に同窓会で会ったな。そのとき、下釜は相変わらずシニカルなプレイボーイ風だった。平井は、語言学院で別れたっきり、ぷっつり消息がない。菊池は、きっと、やさしいおばあちゃんになっているのだろう。

北京言語学院

写真はセピア色に変色してしまったけれど、記憶のなかの風景は瑞々しく、鮮烈である。もう十年以上も前、国慶節の混雑で帰国するための航空チケットが買えず、それではと、久しぶりに語言学院を訪ね、一週間ほど滞在してみた。校名が北京語言大学に変わり、キャンパスに新しい建物が増えても、骨格は四十年前とおなじだった。留学生弁公室の候老師は、まだ、大学に勤務していた。

わたしたちの世代は一九七〇年代の初頭に大学生となり、昭和の最終ラウンドをイケイケで進み、平成の始めを忍耐し、そしてミレニアムを迎え、平成の終盤を根性でやりすごし、いま、そろそろ退場しようとしている。人は時代を生きることは出来るが、それを選ぶことはできない。選ぶことのかなわない時代を共有してきたからこそ、社会を巡礼し、想像の共同体に所属して、連帯感のような糸でゆるく結ばれているのだろう。

時代とは、ほろ苦い想い出であり、紐帯であり、そして、それぞれの道を分けた分裂でもあった。社会はどのように変化してゆくのか。人はどこへ向かっているのか。まだ、じぶんのことさえよくわからないというのに…。

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