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老残日誌(二十三)

梁啓超家書──共産以前の家書に見る中国的家族の厳格と温もり

梁啓超の家書、つまり家族に出した手紙である。中国には幾多の家書があるが、近代以降のものでは曾文正(国藩)公の家書がすぐれているとされる。たとえば曾公が咸豊六(一八五六)年の農暦十一月初五、息子の紀澤に書き送った手紙は以下のような内容からはじまる。

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慈しんで紀澤児に諭す。
報告を受け取った。書画は少しずつ進歩しているようだな。最近『漢書』を読んだ。余は平素『史記』、『漢書』、『荘子』、『韓文』の四つを愛読し、『漢書』を読めることは余の喜びの一端とするところである。『漢書』にはふたつの難しさがある。まず、小学、訓詁の書に通暁することで、その假借奇字を識ることができる。先に古文辞章の学問を修めることで、その奇篇深句を理解することができよう。お前は小学、古文のいずれにも入門していないので、『漢書』に不明語彙や解釈不能な句節が多いであろう。小学に通じるためには段氏の『説文』、『経籍纂古』の二書を理解することが先決だ(中略)父の言い付けを謹んで心に銘じること…。

後年、北伐を完成させるために全国を転戦し、広西討伐作戦を練っていた蒋介石は広州から民国十(一九二一)年五月二十三日、渓口鎮への手紙で蒋経国に次のように訓示している。

経児へ
『説文提要』を読み終わったか、覚えたか。読み終え、覚えたならば、依余正先生にお願いして毎月習う本の目録を作ってもらい、順番に読んでいきなさい。急いで、いい加減に読んではいけない。『爾雅』を読み終わったら次は小学の書だが、それは許氏の『説文』でもよい。あるいは『爾雅』を後にしてもかまわない。先生に決めてもらいなさい。遠くから小言はいわない。君の父はこのところ甚だ忙しく、戦争はすでに勝利をおさめた。あわせて知っておくように。父示す。正午。

蒋介石の思想は曾公と同じように、洋務派の伝統思想の域を出ていない。英語など新学に興味を示したのは所謂「中体西用」論の流れであり、思想・文化領域では伝統意識を墨守した。曽公の倫理・思想の根本は宋学であり、「理=忠孝」と「礼義廉恥」の擁護という伝統思想の範囲を一歩も逸脱することはなかった。西洋の衝撃と封建秩序の急激な瓦解に直面して西欧の生産技術、さらには政治制度にも目をむける。太平天国に対抗して湘軍を組織し、清朝の崩壊を瀬戸際で救った功績に蒋介石は心酔した。

上に挙げた曽公の家訓を読めば、それは蒋介石が蒋経国に認めた手紙の手本になっていることが一目でわかる。曹聚仁が指摘したように、「過去百年の中国の政治において、後継者の扶育に成功したのはわずかに曽国藩ひとりだけ」であったことを蒋介石は知悉していた。だから、蒋経国への書簡でそれを模倣したのだ。

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梁啓超も、おそらく曾文正公の家書を読んでいたであろう。梁は民国十四(一九二五)年四月十七日深夜、著述を終えたあとに硯墨の残りで、米国に棲む思成、思永を訪ねて日本経由で米国に向かう途中に来訪した思順、荘荘が帰ったあとの寂寞を二人への手紙(家書、二二一頁)で追いかけるように綴り、日本ではどこに遊んだのか、船上生活は楽しかったかなどと、父親らしい気遣いが好ましい。教養ある中国人がものした家書は、それを読んでいて知的な啓発を受けるとともに、子を励まし、いたわる親心の厳格と温もりが感じられて心地よい。


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