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浦賀日誌(十二) 京急安針塚駅界隈

京急安針塚駅界隈

午前、畏友の横浜地名研究会々長を誘い、戦前、軍と関係の深かった京急電鉄の駅をめぐった。時間を決め、安針塚駅で待ち合わせる。お互いに出遅れや乗り間違いで約束の時刻に半時間ほど遅れる。ともに、老い、ぼけてしまったことを慰めあう。この駅は一九三四(昭和九)年に軍需部前駅として開業し、六年後の一九四〇(同十五)年、安針塚駅と改称された。ここから逸見駅を南にひとつ隔てた汐入駅は一九三〇(昭和五)年四月一日、横須賀軍港駅としてスタートし、一九四〇(昭和十五)年に横須賀汐留駅に改称され、一九六一(昭和三十六)年、汐入という名称に落ち着いて現在に至る。いずれも、軍需品の物流で敷設された国鉄横須賀線を意識してのことだろう。

京急安針塚駅

安針塚駅は、現在、見るべきものもなく、駅構内を歩いて往年の雰囲気を想像したあと、三浦按針(ウィリアム・アダムス)の墓がある塚山公園に登る。会長は私より四つほど高齢なので、勾配が急な登り坂を苦手とし、激しい息遣いが聴こえてくる。途中、数回ほど休憩して山上の塚にたどり着いた。塚山公園から望む横須賀市街、東京湾は春景色が麗しく、長浦港にはイージス艦、沖合には大型コンテナ船が停泊し、出船、入船でにぎわう航路を父島二見港に向けて航行するおがさわら丸の白い船体を遠望することができた。

Konica ⅡB-m


帰りは、田浦駅方面に至るなだらかな下り坂を選ぶ。ゴミの不法投棄を防ぐための赤い貧弱な偽鳥居が道路端の擬木柵に設置してある。紙垂もなければ、神木もないので、そこに不法投棄を諫める神が降臨するはずもなく、無能な行政木っ端役人の浅知恵にちがいない。

帰路、馴染みの中古カメラ店で程度の良いコニカⅡB-mを見つけ、急いで購入する。隣接する古書店で注文してあった角地幸男訳・ドナルド・キ―ン著『私と20世紀のクロニクル』(中央公論新社、二〇〇七年)を受け取る。キーンはこの作品のなかで、京急新大津駅(旧鳴神駅)の「鳴神」の名前の由来となったキスカ島奪還作戦に加わった顛末を「アッツ島攻撃、「戦争」初体験」の小節で書き残しているのだ。広津和郎『新編 同時代の作家たち』(岩波文庫、一九九二年)、幸田露伴『五重塔』(岩波文庫、一九二七年)の新古本があったので、あわせて買い求める。露伴の『五重塔』は擬古文風で、音読するとそのリズムがじつに心地よく、最近、数百頁にもわたる原稿の推敲で疲弊し、枯渇したた脳に水のように滲み入り、壊れかけたわがスカスカ頭を幾分か癒してくれたのだ。

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