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自分を出すということ

どうも。おじさんです。

なんか、自分自身のありのままって中々出せなくないですかね。
子供の頃は特に気にせず自分を出すということを誰でもしていたと思うんですが、それによっていじめられたり除け者にされたりして、

「これは良くないことなんだ」

っていう間違った学びを得てしまって上手に自分を隠して、ありふれた誰かになって日々過ごしていると。そんなことになっているんじゃないかなって思うんですよ。

他者評価っていうのを気にする文化が学校教育上存在すると思っていて、それが会社に入ると社内評価とか家族の評価とかそういうのを今度気にするようになると。

なんか、みんなが同じ方向を向いて頑張りさえすれば結果が出るような時代だったらそうした方が良かったかもしれませんが、今の何が成果に結びつくか誰も確信持てないような時代にそんなの邪魔にしかならないと思うのですよ。

だったら、自分を出していこうと。
特に全然結果が振るわなくて泣そう、とか全然結果が出なくて完全に諦めていたというような部分にこそ自分を嫌っていうほど出していくっていうのが必要なんじゃないかと感じたわけでございます。

とはいえ、ですよ。
ずっと自分を隠していた、もっというと自分をそのまま出すと傷ついてしまうということがわかっているから守っていたわけでもあります。

ここで覚悟が必要になるわけですね。

例えば僕は自分の家に業者と家族以外を入れたことがありません。
業者っていうのはガスの点検とか、消防設備の点検とかそういうやつですよ。
家族が来た、というのも引っ越しをした初日だけで、以来誰も入れてない状態です。
家からの電話を1週間放置したら踏み込まれそうな気がしますがw

部屋を見られるのが怖いんでしょうね。
あまり見られて嬉しいものは置いてはいないので確かにそういう部分もあるかも。
あとこの部屋に2名以上の人が入るとちょっと圧迫感があるかも。

なのでどこかで会おうってなって、そこで会って解散して家に帰るっていうやり方しかしてないんですよね。部屋に誰かをあげるっていう運用になっていないというのもありますが。

仕事でもマニュアルとか規定に沿って進めるということを重要視しがちな自分の癖、というのを感じるとどうも「オリジナルを見せる」っていうのが恥ずかしいと感じているようです。

この文章だってオリジナルなはずなんですけどね。
たぶん、どこかの誰かと似たことを書いていたりするんでしょうけど。

とりあえず仕事では思ったことをそのまま言うという、パルプンテなことをして行こうと思いました。

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