断捨離できない人へ(エッセー)

物持ち良すぎてTシャツを10年着続けてしまうとかそういう話ではなく、人生で今後の自分の生活を変えるかもしれない多少なりとも大きめの決断をしたいけどサンクコストがとまよう人向けのエッセーです。

最近10年前に買ったマンションの売却を検討している。30%程度値上がっているのと、3LDK一人暮らしが広すぎる点、持ち家はなかなか自分の会社の経費で落としにくい点、また何よりここ10年単位で見て一番の売り時な気がしているためだ。

合理的に判断すると今売るのがいいなと思う一方、悲しいかな人間は感情の生き物である。実際売ることを検討し何社かの不動産会社と打ち合わせをしてると、家に対する思い入れがポロポロ出てくる。

そもそも、売却をしようとしているマンションは結婚しているとき子供が生まれたのを機に購入したとものだ。結婚生活がうまくいかずに元嫁が子供を連れて出て行った後もこのマンションで失意を乗り越えてやってきた。今でもこのマンションに子供が泊まりに来ている。

そう考えると感情的に売るのどうしようかなと思い始めてしまう。そして、別に売る売らないどちらも正解がある話ではない。

話は変わって、今iPhoneからこのnoteを記載しているのだけども、この端末は先日故障により新品交換してもらったものだ。

新品交換は嬉しかったものの、今まで使い慣れたアイコンの配置、インストールしたアプリなど故障さえしなければまだ使えるものをわざわざ交換して一からやり直すのが億劫な気がした。ある意味慣れ親しんだ環境から変わることへの不安や億劫さだが、あまり選択肢も無かったので交換を実施し本日が2日目だ。

しかし、今iPhoneをいじっていて気がつくのは交換前に気になってたアプリの配置などこなれた使い方は既にどうでも良くなり普通にiPhoneを使っている自分がいる。

そして、こだわっていると思っていたことが実は気のせいであることが多いなと気がつくのだ。もちろん、代替性の高い電子機器と生活の基盤となる住まいを同等に考えているわけではない。

しかし、得手して愛着やこだわりは、多分にこのレベルのものでマンションを売って新しい生活を始めたとしても、きっと新しい生活に対して新しい自分なりのストーリーと愛着が醸成されるのであろうと思ったのだ。

釈迦の言葉で好きな言葉がある、曰く「幸せに続く道はない、幸せこそが道である」だ。

この言葉から私が学ぶ一つのことに、幸せは所与の状態により提供されるステータス的なものではなく常に再生産し後付けで確認していくものなのだということがある。

例えば、xx大学に入学すれば幸せであるとか、どこどこにマンションを所有していれば幸せであるなどというものではなく、今の自分のやっていることをあとから振り返り評価すれば良いものだ。

現在の私にとって手放すのも一つ手放さないのも一つどちらでも自分の道は歩いていける。しかし、手放した元手で新しい何かを歩くのがいい考えだと感じている。

だから、思い切って断捨離してしまおうと思っている。

これを読んでいる方の中に捨てたいけどなかなか捨てられないものをもっていふ方もいらっしゃるかもしれない。そんな方にもし読んでいただいてるなら一言「あんたもこっち側こいよ」と伝えたい。人は向かう先の方向性が上向きのものであれば何しても最後は納得できると思う。

だから、もし今何かを捨てたいと思って悩んでいる方がいたら捨ててから歩みたい道に価値があるか、それだけを判断して決断してみては如何だろうかと提案したいということでこのブログを終えたいと思う。

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